【第5講】スペインの対外戦略と外国勢力の視点から見た日本情勢

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孫子塾副塾長・孫子塾関西支部長
同志社大学/京都外大・スペイン語非常勤講師
米田 富彦
http://espania.okigunnji.com/2008/06/post-1.html


 今回は、16世紀のスペインの戦略思考を概観しつつ、それを受けて立つ側と
しての日本の戦国時代の興味深い点について比較観察して行きたいと思います。


4.スペインの対外戦略と外国勢力の視点から見た日本情勢

 この日本と最もよく似た政治的・社会的環境を呈していた当時の欧州の地域
とは、一定地域(言語、文化、歴史などの相似性や共有性の見られるところ)
の中での諸勢力が日本と同じく群雄割拠、即ち、戦国時代の様相を呈していた
イタリア半島でした。

ここイタリア半島は、スペインがフランスとの間で覇権を巡り武力衝突したと
ころであり、歴史では"イタリア戦争"として知られているテーマです。スペ
インは、数々の戦闘での勝利を重ね、戦略的勝利、即ち、「戦争」に勝ったの
でした。イタリア戦争の概略とは、およそ次の通りです。

 スペイン王国を構成する旧アラゴン王国の系統に連なる王族がナポリ王国
(イタリア半島の南半分の地域)を継承していました。このナポリ王国の王位
継承の問題に対し、イタリア半島に勢力拡大の野心を持つフランス王シャルル
8世が継承権を主張して侵攻し、そこから、第1期イタリア戦争(1494~1516)
が勃発しました。後、スペインもフランスも国王が代替わりして、第二ラウン
ドとなる第2期イタリア戦争(1519~1559)が展開します。

 今では、イタリア南部、ナポリと聞いて、マフィアで有名なシチリア島とか
スパゲッティのナポリタン(これは、"イタリア焼きそば"とも言える純然た
る日本の料理であって、イタリア本国ではお目にかかれません)程度しか思い
浮かぶものはないでしょう。が、このナポリの占める地理的条件を見れば、地
中海での覇権確立を成就させる戦略的条件をいろいろと備えている訳です。

 よって、地政学的な食材を料理すること、即ち、天の時と地の利を踏まえ、
「異質の共同体との間からの接触・摩擦・衝突」から生じて来る問題解決には、
まさしく血と肉と骨と命と魂がその調味料として加えられ、そして、煮たり焼
いたり蒸したり揚げたり...というような調理を通じて、最終的に"食する"
ことになって来るものです。

 この時にかなった、宜しき(好き嫌いを言う場合ではなく...)食材を、
腕をふるって調理するコックとは、一国の政治家と軍人、そして、これらの両
者を支える文臣(経済担当など)であり、仕上げられた"ディッシュ"(戦略
的利益)に舌鼓を打つ客とは、本来ならば国民となっているものです。「国民
とは、良き地政学のグルマン(美食家)であれ」と、いろいろと陰になって努
力するのが組織のリーダーの心配りでもありましょう。

 しかし、これが往々にして、個人の利益に帰結したり、特定思想・信条を信
奉する団体の利益に帰結することとなり、結局、組織では、上下意を同じくせ
ず、上が下を力で強いることで、組織内での利害関係が齟齬を呈するところが
あるものです。現実の組織の管理運営で大変難しいところでもあります。

 しかし、人ならでは起こしてしまうこの組織の管理運営上の齟齬とは、自ず
と「虚」を構築することとなるために、攻撃側としては、つけ込んで活用する
ことになります。

 理想からはかけ離れた現実にこそ、実は、よく観察すると...いろいろと
つけ込むスキがあるものである...このようなことを地政学的に実際に活用
(内部分裂を利用)したのが、ここでお話ししているスペインの対イタリア戦
略であり、また、アステカ帝国(現メキシコ)、インカ帝国(現ペルー)を亡
国となし、今日の北米・中米・南米に自らの言語と文化を拡散したのみでなく、
それらの地に根付かせ、新たな人種(メスティーソ)までも作り上げ、まさに、
自国の亜流を創造したスペインの戦略的特徴でもあり、地政学上の知恵でもあ
るのです。

 スペインの戦略について比較考察する際に興味深い点が指摘されます。そも
そも、印欧人(アーリア人のこと。これはナチスによる定義ではなく、所謂、
欧州系の人々の祖先のことです)の特徴とは、民族移動と対異質共同体の支配
を基本として、拡散して行くことが指摘される点です。

 この対異質共同体の支配については、おもしろい材料が存在しています。
先ず、米国のハリウッド映画や他のB級作品のジャンルに「侵略もの」、「パ
ニックもの」があることは認められるところです。その多くは、他の星からの
宇宙人や宇宙生物、ある時には、突然変異や人間が化学的に作り出した生物が
"奇襲"して来て、パールハーバーのような状態になり、そして、第二次大戦
末期の日本のように米軍艦載機からあたりかまわず機銃掃射をうけて一般の人
々が殺されたように、やたらに人間が見つかり次第殺戮されることを経験した
後、最後は、必ず撃退されるパターンになっていることです。

 おもしろいところは、宇宙人などが侵略するパターンなのです。これらの映
画では、宇宙人や宇宙生物などが人間の女をかたっぱしから陵辱して、混血児
を沢山産ませて、それから地球を併呑することはほとんどありません。これも、
アングロ・サクソン系(かのインディアンに対抗した形式が興味深いところで
す)とラテン系(ちなみにラテン系と同じ形式はインドでも起こっています)
の形式の違いです。

 日本の発想での「侵略もの」なら、さしずめ、宇宙人などは、進化を遂げて
いるのでしょうから、むしろ、肉体そのものを昇華してしまっていて、魂の次
元で時空を超えて地球に飛来し、人間に憑依するという侵略パターンの方が好
まれると思います。

 ところで...このイタリア戦争を契機として、コロンブスが新大陸から持
ち帰った病気がかの「梅毒」でした。そもそも、戦争とは、戦争のみで生起せ
ず、必ずシステムで生起するものであります。

 当時、兵士たちを戦場や軍の組織以外のところで相手にするいろいろな商売
もありました。即ち、兵士相手に金を稼ぐ人たちの存在であります。ここから、
「梅毒」とは、単にコロンブス一行が上陸した淋しいカリブ海の島々において
だけであったものが、世界中、いわゆる「性の処理」を通じて、いたるところ
で爆発的に拡散するようになったのです。

 たった一つの病気が世界中に広まるという事実から導き出される「方程式」
とは、現代でもどのような領域や分野や科目で応用が効くものなのかどうか...
を読者の皆さんは、単に変数(パラメーター)を変えるだけではなくて、実際
に脳を使って考えてみる必要がありましょう。

 また、この事実から、読者の皆さんが気づかねばならないのは、戦略、情報
と共に兵站(ロジスティクス)というものについての考えなのです。

 兵站とは、単なる武器や食料の補給を前線の将兵に対して行う...という
ハード面の世界だけではなく、そこには、人たるものが必ず乗り越えねばなら
ないソフト面の世界の解決、即ち、本能的欲望(食欲、性欲、睡眠欲など)の
「組織的健康管理」を踏まえて、直接的・間接的な「職業病の予防」ともなる
公衆衛生(よって、精神衛生や栄養学の配慮)は、当然ながら含まれて来るも
のであります。

 大方の日本人は、戦略のみならず、情報も、そして兵站の思考も疎いのかど
うか...について検証する必要がありましょう。本当は、兵站など一般的に
軽視する場合が多いのではないでしょうか。

 「輜重兵(兵站担当の部隊)も兵隊ならば、ちょうちょトンボも鳥の内...」
というような台詞がかつての日本軍では常識として唱えられておりましたが、
このような戦略そのものの思考が欠如していることを他人に公言するような
「真言」のお陰で、一体何万人もの壮健で優秀な将兵が戦闘で死なずに、餓死
や戦病死したのでしょうか。

 読者の皆さんは、戦略や情報を学ぶなら、やはりシステムで思考しなければ
なりませんが、戦略のシステムとしての兵站は、決して無視したり、忘却した
り、他人まかせにしたり、距離を置いたりしてはならないものであります。

 采配を取る主体者たるリーダーこそ、むしろ、じわーっと何とも言えないに
おいのする脂汗が滲み出て来て、体臭までムワーッと臭くなるような気配りが
求められる重要事項なのであります。

(実例としては、会社などで営業課職員と経理課職員と仲の良くないことがあ
りますが、その理由を過去・現在・未来と時系列的に事例を基に調べてみると
興味深いデータが出てくるかもしれません。)

 読者の皆さん、ここらへんで、戦略、情報、兵站といった事柄の本質的な内
容について意識が改まって来られたかもしれません。例えば、日本の国家レベ
ルで観察すれば、情報(インテリジェンス)の問題は、その組織の様態・運営
形式が外国のやり方も踏まえてあれこれ賢く議論されていますし、兵站(ロジ
スティクス)の問題は、環境問題も含めて効率的なシステムで構築することが
必要となっています。しかし...教養や学歴のある賢い人たちが沢山集まっ
て、専門的な話しを重ねようとも、卓越した戦略を実践するリーダーが"不在"
のままでは、まさに国家レベルでの「鯖の生き腐れ」になってしまう危険があ
るのです。

 以上のような考え方を踏まえて、当時のスペインを観察していただきたいと
思います。

 ここで、イタリア戦争の話し戻して続けて行きたいと思います。

 これら二回の"イタリア戦争"でフランスを撃破したスペインは、イタリア
半島での覇権確立に成功しました。第1期イタリア戦争が原因で、フランスと
の関係が強く、地理的・政治的にも重要な位置にあったスペイン東北部のナバ
ラ王国(バスク人の国)は、新興王国のスペインに征服(1512年)されてしま
いました。

 旧ナバラ王族であったフランシスコ・ザビエルは、後、元スペイン軍将校イ
グナチウス・デ・ロヨラとパリで"邂逅"し、1534年(スペインの無敵艦隊
"アルマダ"に匹敵する無敵陸軍"テルシオ"の創立年と同じ!)に軍事的性
質を持つキリスト教宣教団体である"イエズス会"を結成して、遂に東洋布教
に旅立ち、はるばる日本までやって来ることになります。

"イエズス会"とは、宣教団体でありながらも、ナバラ王国滅亡後のナバラ王
国の気概・精神を継承して、その「散りて後、残る香の有り難さ」を内包し、
自らの組織の矜持としている...とか言われることもあります。また、特に、
現在の日本では、カトリック・キリスト教とは、"ミッション系"という言葉
からも、教育、特に学校経営に強いところは知られていますが、この"イエズ
ス会"の設立した学校としては、東京・四谷にある上智大学などが有名なとこ
ろです。

 ナバラ王国とは、8世紀にやって来たイスラム勢力を早々に撃退、排除して、
10世紀の初頭にはキリスト教王国として成立していました。この王国の特徴と
は、印欧系の人々とは異なるバスク人によるものであり、15世紀に誕生するス
ペイン王国を形成したカスティリア王国とアラゴン王国が発展する際には、傍
で多大な影響を与えて来た王国でもあります。また、このような経緯から、現
在のスペイン語(カスティリア語のこと)がラテン語から発達する際には、音
声面でバスク語の影響を受けていると言われています。

 ナバラ王国が占めていたイベリア半島内での地政学的な条件が新興スペイン
王国にとって、避けては通れない戦略上の問題となっていたことが"亡国"の
憂き目にあう原因となっていたのです。

 そもそも、"天・地・人"とありますが、人あればこその天であり、地であ
ります。天も地も動きませんが、人は動くものです。ナバラ王国も周辺事情が
異なれば、また、別の道を歩んだかもしれませんし、ザビエルも違った人生を
歩んだことでありましょう。

 地理に縛られて、人とは、動くもの(物理的にも思考的にも)であることを
忘れやすい...これも人たるものの有する"虚"でもあり、ここから自分に
も他人にも様々な"業"を生じさせるものであります。

 イタリア半島のことがナバラ王国におよび、ナバラ王国が亡国の憂き目にあ
った後、イタリア半島は、スペインが政治的に最大の実利を獲得した地域とな
って行きました。

 このイタリア半島が当時の列強の草刈場となった原因は、イベリア半島での
場合のように強い統一国家が作れず、ローマ教皇領、多くの貴族領や王国領、
様々な都市国家領などの各個的利益が主張され、お互いに利害関係から群雄割
拠の"内戦状態"を継続していたからであります。この点、日本の戦国時代と
は、同質性を見せています。

 スペインの戦略的勝利の原因とは何か...それは、即ち、「敵の敵は味方」
という方程式を応用したのです。ちなみにこの方程式の裏技が「敵の味方をど
うするか」であり、それは、裏切らせる、内部分裂を仕掛けるなどの"調略"
とか"謀略"になって来るものです。

 イタリア半島の当時の特殊性として最も特筆するべき点は、半島内で起こっ
ていた内戦的な闘争事象の決着を着けるために、当時の列強勢力の直接支援を
個別に要請したことがあげられましょう。これがお互いの政治戦略から見れば、
将来的にはイタリア半島の人々自らの立場を大いに損なう結果となり、イタリ
ア半島統一には、その後、かなりの時間を要する(日本での明治維新と同じ時
代)こととなってしまったのです。

 読者の皆さん、戦国当時の日本は、イタリア半島と同じ状況であったことは
否めないところです。もし、スペインやフランスのような先進的軍事強国が近
隣にあるか、また、日本への海上アクセスがとても容易であったとしたら、外
国勢力が日本の内戦状態に付け込んで介入してくることも考えられるところで
した。

 また、日本国内での野心的な大名、あるいは、キリスト教信者の共同体など
が一向一揆のような武闘的組織形態を以て結託し、そしてスペイン軍などの外
国軍を援軍として共闘すれば、ある程度、地域的な国内覇権を奪取することも
可能であったのです。

 日本の戦国期というのは、大河ドラマ、歴史小説、ゲームのような"ロマン"
があふれるようなものではなく、ある意味、幕末維新期に匹敵するような「国
難」の時代であったというのが別の観点から言うことが可能であると思います。

 要は、外国勢力の軍事力(ハードもソフトも)が日本に対して決定的なレベ
ルで非対称ではなかったからと言えるのではないでしょうか。その興味深い実
例として、幕末には、「黒船」が社会現象になり、日本の戦略的動向に影響を
与え、"国のレベル"で変革(レジーム・チェンジ)につながりました。が、
「南蛮船」は、社会現象にはなり得ていません。この「黒船」と「南蛮船」の
違いを観察しなければならないのです。この違いの分かる男こそ情報マンと
言える存在ではないでしょうか。

 ちなみに当時、「南蛮船」を「黒船」と同類のものと喝破していたのは、織
田信長あたりではなかったかと思われます。

 この群雄割拠の状態をスペインが上手に活用する実例は、イタリア戦争とア
メリカ大陸征服事業であったのは触れてきたところです。アメリカ大陸征服事
業の場合、スペインは、イタリア半島と同じく、「敵の敵は味方」として活用
し、敵対関係にある部族と緊張状態にあったメキシコのアステカ帝国や内紛状
態にあったペルーのインカ帝国をその内部紛争・内部対立を奇貨として、僅か
の兵力で攻略してしまっています。これは、中国兵法の有名な『兵法三十六計』
にある"借刀殺人"(しゃくとう・さつじん:内部分裂を利用して敵で敵を討
つ)、"趁火打劫"(ちんか・だこう:火事場泥棒)、"混水摸魚"(こんす
い・ぼぎょ:混乱に付け込み利益を得る)等に相当する発想と同じものとなっ
ている点は興味深いところでありましょう。

 また、スペインは、戦略とは表裏一体の関係にある情報(インテリジェンス)
にも抜かりはなかったのです。特に、攻略地域の現地の人間を孫子兵法に謂う
「郷間」(現地人工作員)として活用し、ある時は捕まえたり、ある時は不満
分子を選択してから、彼らには、徹底的に語学を教育して、スペイン人のもの
の見方と考え方を身につけさせておいて、やたらに武力に訴えて戦闘に至るの
ではなく、まずは情報収集を行い、何度も交渉を繰り返して、戦うというより
は味方にするという方法で「戦いの経済」をコントロールしているのです。
これは、孫子兵法にも、「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なるものなり」
という普遍性に共通するものでもありましょう。

 政治・軍事・経済の合理性を追求した生存のための「術策」とは、かのマキ
アヴェッリ思想の実践でもありましょう。スペインは、実行においてリアルな
態度を崩さなかったのですが、これは他の欧州の国々も同じことでした。

(つづく)

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