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    <title>スペイン＆ラテンアメリカ講座～戦略・情報・兵法・地政学・言語・社会などから見る～</title>
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    <updated>2008-11-20T08:40:39Z</updated>
    <subtitle>軍事、戦略、情報の裏読み斜め読みがあなたにもできる! 戦略・情報・兵法・地政学・言語・社会などから見た「スペイン＆ラテンアメリカ講座」　メールマガジン「軍事情報」で隔週木曜日に配信中！　講師は米田富彦さんです。</subtitle>
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    <title>【第１３講】　&quot;南蛮兵法&quot;―その存在及び日本軍事史からの観察―</title>
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    <published>2008-11-20T08:32:05Z</published>
    <updated>2008-11-20T08:40:39Z</updated>

    <summary>「日欧交渉意外史」に見られる注意点は、「日欧交渉史」を改めて研究する上で、大変重要であり、今後、複雑化する国際関係の中で、スペインと同じく海洋国家の性格を持つ日本が「21世紀の国際平和戦略」（表向きの表現として・・・）を策定するにあたり、よく「彼を知り己を知る」ための貴重なケース・スタディとして学ばれるべきものと思われるのです。</summary>
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        <![CDATA[<p>孫子塾副塾長・孫子塾関西支部長<br />
同志社大学／京都外国語大学・スペイン語非常勤講師<br />
米田 富彦<br />
<a href='http://espania.okigunnji.com/2008/06/post-1.html'>http://espania.okigunnji.com/2008/06/post-1.html</a></p>

<p><br />
先ずは、報告からです。去る11月13日に京都外国語大学をスペイン国国王及び<br />
同王妃殿下がご訪問されました。これは、筆者の母校である京都外国語大学に<br />
とっては、誠に名誉なことでした。</p>

<p><br />
今回のご訪問は、東京にスペインが自国の言語と文化を海外へ伝える国営の機<br />
関である"Instituto de Cervantes"（インスティトゥート・デ・セルバンテ<br />
ス。「セルバンテス協会」：詳しくは、 <a href='http://tokio.cervantes.es/jp/default.shtm'>http://tokio.cervantes.es/jp/default.shtm</a> をご覧ください。スペイン関連の情報を得るには大変興味深いサイトにな<br />
っていると思います。）の公式オープンに伴うものでした。</p>]]>
        <![CDATA[<p><br />
「セルバンテス協会」とは、ドイツの「ゲーテ・インスティトゥート（ゲーテ<br />
協会）」、フランスの「アリアンス・フランセーズ」、イギリスの「ブリティ<br />
ッシュ・カウンシル」、イタリアの「ダンテ・アリギエリ協会」と同じような<br />
一国が海外に向けて自国を宣伝し、自国の言語と文化を理解して、そして愛し<br />
てくれる人を創る"機関"です。</p>

<p><br />
これには短波放送もあれば、映画を通じた方法などもありますが、共通する点<br />
は、一般の多数の人の頭脳に思考回路ならぬ嗜好回路を作り上げるところであ<br />
り、日本にとってはマンガやコスプレ、ゲームなども軽視できないアイテムで<br />
ありましょう。</p>

<p><br />
日本も国策で海外に日本語と日本文化を正しく宣伝することの出来る国営機関<br />
が必要なのではないでしょうか。このような分野には退役自衛官の方々をはじ<br />
め、期間契約にしてみても様々な方々がかなりの適職になってくるものと思わ<br />
れますし、学生にしても国際的かつ日本を背負うという自負心に満ちた就職先<br />
に希望が見えてきます。公式オープンには、皇族にお出ましいただくと、それ<br />
だけでとても効果があると思います。</p>

<p><br />
世界に誇れる言語と文化を持ちながら、自分の国のことを良く言うと、どこか<br />
の特定アジアと同調して調子に乗る売国政治屋、売国官僚、売国マスコミが<br />
姦しいところです。</p>

<p><br />
当日、観察していて興味深かった点は・・・先ず、司会が大学の男性職員の方<br />
だったと思うのですが・・・これは、華のある女性アナウンサーに来てもらっ<br />
た方が良かったと思いました。何故なら・・・見たとたん、"ハレ"の場には<br />
相応しくない・・・即ち、雰囲気が暗くて、見るからに貧相（貧乏神のような<br />
感じ）な人が現れたからです。</p>

<p><br />
そして、壇上で如何にもといった感じで予定の書いた紙を数回めくり、堅い表<br />
情で参加者を見つめながら、「国王が来場されるのでご起立ください」と全員<br />
を立たせて沈黙の数分が経過・・・十分に今か今かと緊張させておいてから<br />
（この司会の方こそ暗鬱そうに緊張されていたので、みんなも緊張する訳です）、<br />
「時間が遅れている様子なのでご着席ください」とこれまた堅い表情で突然、<br />
勿体をつけたので、一気にみんなの気持ちが前につんのめった感じになり拍子<br />
抜けしてしまったのです。</p>

<p><br />
これって・・・"プガチョフ・コブラ"（<a href='http://mmsdf.sakura.ne.jp/public/glossary/pukiwiki.php?%A5%B3%A5%D6%A5%E9'>http://mmsdf.sakura.ne.jp/public/glossary/pukiwiki.php?%A5%B3%A5%D6%A5%E9</a>）のような感じで・・・心の中で「司会<br />
は、スホーイ社の営業か？」と笑ってしまいました。しかし、これでみんなの<br />
緊張がいささか解れたのも事実でした。しかし、案内のスペイン語を司会の方<br />
が読み上げたのですが、恐らくカタカナで書いてあるのであろう・・・という<br />
ようなスペイン語を棒読みするもので、今度は恥ずかしくなって来ました。</p>

<p><br />
フアン・カルロス一世国王、ソフィア王妃が入場され、壇上にお上りになられ<br />
ると、国王の後ろには、スペイン陸軍の軍服に身を固めた金モールに肩に星の<br />
三つついた、そして、胸には"略綬"を着けた将校、今は使われない日本語と<br />
なった「侍従武官」というのでしょう・・・がきちんと付き添い、国王の行動<br />
に息を合わせていました。</p>

<p><br />
（一般の人も学生も「あれはカッコ良かった！」との声でした。みんな軍人が<br />
付き添っていたことで、威厳というか高級な印象があったようでした。）</p>

<p><br />
スペイン軍将校の軍服は、離れて見ると陸上自衛隊のものと殆ど同じに見えま<br />
した。日本も、天皇陛下が海外に行幸される際には、ビシッと自衛隊の将校が<br />
それこそ正式な侍従武官（<a href='http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/division/chamber.html'>http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/division/chamber.html</a>）として活躍すれば、国連の活動の他にも、それなりの国益上の効果<br />
があるかも知れません。</p>

<p><br />
（その前に原文英語の日本憲法をきちんと現代の人に合わせて日本語で考えて<br />
作成し直す必要がありましょう。また、勲章に対する考え方も正しく改めなけ<br />
ればなりません。日本における勲章の制度とは、そもそも、天皇の下にあるも<br />
のです。決して安っぽいものなんぞではないものなのです。が、これを安っぽ<br />
くしているのは他ならぬ現代風の為政者側自らでありましょう。）</p>

<p><br />
スペイン国王、王妃が訪問されたことで、スペインに対するイメージが向上し、<br />
スペイン・ファンが増えたと思います。</p>

<p><br />
では、今回は、いよいよ、「日欧交渉史」となる「日欧比較軍事史」の16世紀<br />
における「まとめ」に入って行きたいと思います。</p>

<p><br />
１３．"南蛮兵法"―その存在及び日本軍事史からの観察―</p>

<p>結局、欧州で起こった軍事革命の中で、日本との同時代性（シンクロナイズ）<br />
が見られる・・・と捉えられるのは、"火縄銃"の"普及とその使用"のみで、<br />
「欧州伝来の応用に相当する用兵＝（所謂、もっともらしく表現するのならば<br />
・・・）"南蛮兵法"」なるものが見られたのではなかろうか・・・と推量さ<br />
れるのが、唯一、織田信長によって演出された"長篠の合戦"ぐらい・・・で<br />
あり、それらしき"南蛮"の香る合戦は、この後にも先にも、"長篠の合戦"<br />
のみで終わっているようなところです。</p>

<p><br />
本来、戦国時代において、火縄銃が集団的かつ効率的に使用された合戦では、<br />
何も"南蛮兵法"を云々するまでもなく、その実践面においては、日本古来の<br />
「弓術」に伝えられる遠戦兵器としての戦術や戦闘隊形及びその組織・管理運<br />
営術などを基礎として応用されたもの・・・との意見もあります。</p>

<p><br />
ここでの火縄銃の使用は、また、他の"兵科"との組み合わせ、所謂、現代の<br />
陸軍の中で言うところの"工兵"や"補給"（昔で言う"輜重"：これは、当<br />
時なりの銃や火薬のメンテナンス・システムなど）に相当する"兵員"を「総<br />
合」して、その相乗効果を演出する・・・というようなことを実現した戦国武<br />
将についても考えてみると、その興味深い点は、ますます湧き出て来るような<br />
ところでありましょう。</p>

<p><br />
では、話しを元に戻して、「弓術」・・・これは、現在、神道儀式としての性<br />
格を強め、無形なる精神修養を行うべき"カタ"として、その維持・継承を実<br />
践しつつ、射的競技というような現代スポーツ化した要素をも合わせ有する<br />
「弓道」の実践者の中でも、色々と古式の武術的伝承を受け継がれている「弓<br />
術」に巧みな方がいらっしゃることと思います。が、あまり表立って口に出す<br />
こともないと思われます。</p>

<p><br />
アーチェリーの方は、その根本が射的競技なので、標的の真ん中にどれだけの<br />
精度で以て「的中させる」かが競われますが、その点、弓道は、的の真ん中に<br />
"中る（あたる）"のは、心も体も正しく調和した時であると言われています。<br />
また、弓道の方は、"?"（ゆがけ：矢を引く際に用いる用具）、手の内・・・<br />
とかの段階的な訓練が普通に出来るまで必要となるのですが、アーチェリーは、<br />
その日から手軽に楽しめます。</p>

<p><br />
"中てる"（他動詞）と"中る"（自動詞）・・・これも洋風／和風の発想の<br />
違いであり、この違いは、洋風庭園／和風庭園の作り方（所謂、コンセプト）<br />
にも現れている・・・と言われるところでもあります。そもそも、中てること<br />
だけに集中して考え、必ず命中させるのだ・・・ということが求められると・<br />
・・そこからボウガン（弩）になって来るわけです。こちらは、安定していて、<br />
さらに強力で殺傷力も高く、また、潜んで待ち伏せする（孫子兵法にいう"伏<br />
姦"）にも適しています。</p>

<p><br />
ところで、弓矢と言えば、日本では、"武門"を表す誉れのある言葉ですが、<br />
外国（欧州）では、弓矢は、足軽（というよりは、"弓兵"という一種の階級<br />
的なもの）の使用する武器（集団戦用のもの）として捉えられ、馬に乗って、<br />
そして、育成、錬成のための「金とヒマ」がふんだんに必要とされる武闘プロ<br />
フェッショナルの騎士（この社会階級の存在に注意）の使う武器ではあらぬも<br />
の・・・でもあった故に、何となくイメージの"ランク的には下"に見られて<br />
います。</p>

<p><br />
イギリスの１３世紀あたりの"弓兵"（ロングボウ：日本の弓＝和弓とよく似<br />
た"長弓"です）など、その社会階級的背景もあっての"専門職"として、<br />
その訓練を重ねた結果、自らの骨格までが独特の変化をしていたことは知られ<br />
ています。（これは、イギリスの沖で発見された沈没船の調査から、弓兵だっ<br />
た方の遺骨が出て来たので判明したものです。）</p>

<p><br />
オリンピック競技でも、フェンシングとか馬術とか、元々、「欧州貴族のスポ<br />
ーツ」であったものと比較して、アーチェリーは、所謂、"庶民的スポーツ"<br />
と捉えられる傾向があります。</p>

<p><br />
みなさんは、一度、オリンピックの競技大会には、欧州風の社会階級的な嗜好<br />
があるところなど、調べてみるのも興味深い（米国との違いや旧植民地やアジ<br />
ア圏内の国々と比較することなど）と思いますし、日本人などが特定の種目で<br />
金メダルを獲得するにしても、一種のインテリジェンス、プロパガンダなどの<br />
観点からも強化選手を作って、それなりに対応すれば、外交や経済などの問題<br />
にも役に立つかも知れません。</p>

<p><br />
ところで・・・"マラソン"という競技は、何故かペルシア（現イラン）あた<br />
りから、「いつまでたっても過去の戦禍を蒸し返して、今の我々の国辱に相当<br />
するようなことをするな。これは人権問題だ。それで精神的苦痛を受けている。<br />
だから賠償しろ」とかの言葉が出て来ても興味深いところなのですが、歴史認<br />
識など問題にする際には、このような点を他の国々の実情とも比較すると大変<br />
興味深いと思われます。（ギリシアとしては、過去のペルシアの侵略戦争を非<br />
難し続けているのか？その補償金でも求めているのか？そうでもないようです。）</p>

<p><br />
では、話しを元に戻して・・・世界中で見られる「遠戦兵器の弓矢」なのです<br />
が、弓はもとよりとして、矢に複数（二枚以上）の羽を付け、弦で射出すると、<br />
自ら高速回転し、弾道を安定させつつ飛距離を稼ぎ、そして命中率を向上させ<br />
ると同時に、らせん回転の力で対物威力を求めるもの・・・となっています。</p>

<p><br />
そもそも、現代の射的で用いる矢は、弓道にしても、アーチェリーにしても<br />
"鏃"が"鏃"にはなっていません。</p>

<p><br />
ちなみに・・・映画の『ランボー2』とかでお馴染みのものは、アーチェリー<br />
では、"コンパウンドボウ"と呼ばれるもので、映画でご覧の通り、滑車がつ<br />
いていて、複数の弦を組み合わせることで、弓を引く力を軽減すると共に、<br />
強力さを実現させ威力を発揮するものです。</p>

<p><br />
競技でのコンパウンドボウ（詳しくは： <a href='http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ohata/'>http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ohata/</a> ）の方は、映画のように指で弾くのではなく、ペンチのような器具で弦を<br />
つまんで引き絞り、その器具に付いているトリガーを落とすようになっていま<br />
す。（また、アーチェリーと同じく、手がブレないようにスタビライザーとい<br />
う器具を付けて、照準器まであります。よって、高い命中精度が実現される訳<br />
なのです。）</p>

<p><br />
日本では、禁止されているのですが、コンパウンドボウを使って、海外（米国）<br />
では、狩猟目的での使用が許可されています。映画で見られたような"折りた<br />
たみ式の矢"に鋭い"鏃"がついていて、これで獲物を狙う訳です。（映画で<br />
は、爆裂するものが出て来て、敵の将校を粉々に吹っ飛ばすシーンは有名です<br />
が、このような矢はあるのでしょうか？）</p>

<p><br />
（意外と興味深いのは、命中して生きている獲物が倒れるような致命的効果が<br />
あるのは、やはり、20～30メートル以内で急所を狙って・・・ということです。）</p>

<p><br />
洋の東西を問わず、色々な種類の弓矢があるにしても、矢にらせん回転を生じ<br />
させて的に相当する人なり獲物なりへの殺傷能力（効果）を求めていることは、<br />
そこに興味深い、動物とは異なる人たるもの使用する武器に見られる普遍性が<br />
感じられます。</p>

<p><br />
ここから、弓矢は、それで射抜くことができたり、はては、矢を負ことで死に<br />
至る致命傷を与えるもの（神武天皇東征の際、関西上陸作戦中、敵の長髄彦か<br />
らの矢傷が元で、現関西新空港のあたりにて、兄の五瀬命が出血多量から海の<br />
水を真っ赤に染め、命を落とされた話しは有名です）・・・となっています。</p>

<p><br />
ちなみに、時代劇で出てくる、台のついた大きな俵のような的に向かって、お<br />
殿様が弓の練習をしていらっしゃるシーンがありますが、あれは、最初から訓<br />
練用の矢であって、ほんの近くの距離から射出するものです。</p>

<p><br />
この訓練用の矢には、征矢たるべき鏃もなく、羽もついていません。もし、羽<br />
のついていない矢を打てば、どうなるか？射出したら、スグにまっすぐに飛ぶ<br />
ことはないので、既に"矢"ではなくなりますし、射手も含めて大変危険なこ<br />
とになります。</p>

<p><br />
この矢にある複数の羽を、今度は逆に応用して・・・「筒を使って、その内側<br />
に切り込むらせんの溝で仕込みをつけ、射出する弾に矢のように高速回転を与<br />
えて安定させ、同時に対物威力を増加させる原理」を考えた方、即ち、ライフ<br />
リング（これと同じようならせんの構造は、人間の血管とか男性の尿道などで<br />
も見られるそうです）を発案した方とは、人類の"車"や"プロペラ"（この<br />
原理は、平賀源内という話しがあります）を考え出した方々と比肩すると、<br />
一つの知的パイオニアと言っても過言ではないでしょう。</p>

<p><br />
（現代の戦車砲の主流は、ライフリングなしの滑空砲を用い、そのかわり、<br />
射出された砲弾に羽が飛び出して来て、標的に命中するようになっています。<br />
これは、ドイツの老舗ラインメタル社（ <a href='http://www.rheinmetall.com/index.php?lang=3'>http://www.rheinmetall.com/index.php?lang=3</a> ）の製品が有名で、陸上自衛隊９０式戦車、米軍のＭ１Ａ１エイブラム<br />
ス、ドイツ軍のレオパルトⅡなどに使用され、特に、米軍のＭ１Ａ１は、イラ<br />
クで実戦を済ませています。）</p>

<p><br />
みなさんは、常識では考えつかない"別次元"の使い方に思いをはせてみてく<br />
ださい。（例えば、ドイツ軍が使用した88ミリ高射砲ですが、飛行機を撃つの<br />
ではなく、水平に持ってきて戦車を撃ったら・・・というようなことです。）</p>

<p><br />
弓矢の原理に触れつつ、かの『海潮音』という翻訳詩集で有名な上田敏（『上<br />
田敏全訳詩集』・岩波文庫・緑34－１）の中に収められている『海潮音拾遺』<br />
に、印度古詩が五つぐらいあります。が、その中で、「をとめなれども　あし<br />
びきの　やまのさつお（?夫＝狩人）のわがきみは、あずさのゆみのまゆとじ<br />
め　そや（征矢）うちはなつ　ながしめに　せんなや　われはておひじし<br />
（手負い獅子）」というのがあります。</p>

<p><br />
さぞかし、美人からの流し目＝"視撃"が恋のスナイパーになっているような<br />
詩ですが、この詩の中にある"征矢（殺傷用の矢：征矢・・・この漢字の表現<br />
をみなさんは味わってください！）"を打ち放つのが弓という武器であり、<br />
弓を弓たるものと成しているものであります。</p>

<p><br />
そして、「死ね！」として打ち放つが故に、その「返し矢」を昔の日本人は<br />
忌んだのでした。</p>

<p><br />
時代的進化と言うならば・・・時代的進化を遂げた弓矢の変化形態として、<br />
鉄砲を考えるのなら・・・征矢は、益々、征矢としての命中精度と殺傷確度を<br />
変化の中で安定化させた訳です。そして、その鉄砲とほぼ時を同じくして、<br />
西洋式甲冑が輸入され、その鉄砲に対する防御効果からも「南蛮甲冑」として<br />
使用されるようになって来ています。</p>

<p><br />
まさに、日本風に表現するならば「征矢返し」とでも言うような、返し技的な<br />
武具が現れてきたのでした。</p>

<p><br />
そして、日本軍事史においては、甲冑は、継続使用され、廃れてしまうほどの<br />
あまりの劇的変化は、見られなかった・・・ということでした。要するに、<br />
合戦には火縄銃が使われ始めた・・・しかし、これでも甲冑そのものは長きに<br />
渡って決して"廃止"されていません。</p>

<p><br />
かの日本イスパニヤ学会のペダンティックでありスノビズムの漂う面白い<br />
お話し（ <a href='http://espania.okigunnji.com/2008/10/post-6.html'>http://espania.okigunnji.com/2008/10/post-6.html</a> ）にもあった<br />
ようなことではなく、"長篠の合戦"の後でも、「甲冑を脱いで戦闘をするよ<br />
うなこと」にはなっていません。</p>

<p><br />
ちなみに、"怪文書"のお話しですが、遂に「日本イスパニヤ学会理事会」と<br />
いう差出人の印刷された小さな張り紙を糊で張りつけた茶封筒が、普通郵便で<br />
やって来ました。今度は、以前言及した菊人形で有名なところにある某外国語<br />
系大学の前理事・前編集委員長の御方ではないもの（送付した日付あたりでサ<br />
イトから名前が削除されています）です。</p>

<p><br />
しかして、その内容とは・・・、個人はもとより、他学会へも誹謗、中傷、侮<br />
辱、信用毀損、脅迫を書きつらねた"怪文書（本当は、脅迫状の内容のもの）"<br />
の送付・・・ というレッキとした犯罪行為（刑事事件）に対して、日本イス<br />
パニヤ学会の理事会内でやっていないことを確認した・・・とだけ伝えて来て<br />
いるものでした。</p>

<p><br />
植木鉢などをひっくり返すと、その裏の隙間にナメクジとかシデ虫とか丸虫と<br />
か訳の分からないヌラヌラ、ジメジメした生き物がそれなりの自分たちの世界<br />
を作って安住しているようなところがありますが、直射日光に当たると急に存<br />
在価値を失って行くような・・・そんな感じのする出来事と思います。</p>

<p><br />
スペイン国王及び王妃殿下の際、その前座に行われた記念講演でも、講師をさ<br />
れた首都圏高偏差値カトリック系大学教授で、日本イスパニヤ学会でも権威と<br />
される先生のお話にしてみても、外国人の名前を日本人が聞き取りにくい発音<br />
でやってみせたり、もっと外国語で海外に発信するべきであるとの力説でした。<br />
が、多数の参加者には、内容からして、専門的過ぎて、あまり分かる話しでは<br />
無かったと思いました。</p>

<p><br />
ここで、日本イスパニヤ学会が国内権威であるというようなことをぬけぬけと<br />
言っていたのには、このペダンティックというかスノビズムというか、とても<br />
厚かましい気がしました。</p>

<p><br />
では、元に戻って・・・そもそも・・・"長篠の合戦"後、織田信長の戦いに<br />
は、欧州の軍事に由来、あるいは着想を得たと思われる戦闘は、今のところ指<br />
摘されていないようです。また、欧州様式の軍事を可能とするべき「軍制改革」<br />
も日本で発生したとは考えられません。これは、豊臣秀吉を経て、徳川家康に<br />
天下が回っても同じことでした。</p>

<p><br />
ただ、織田信長だけは、兵農分離で常備軍を創設し、当時の常識を破る政教分<br />
離で近代国家を成立させた・・・というような欧州風の"片鱗"を幽かに伺わ<br />
せており、そこだけは、日欧の同時代性が感じられるものです。が、その後の<br />
日本には全く定着しませんでした。</p>

<p><br />
他に欧州の統治術の一つで宣教師が伝えたと考えられるものに、"DIVIDE ET<br />
IMPERAT"（英語では、"Divide and conquer."／"Divide and rule."とい<br />
う言葉で知られており、意味は、「一つを二つに分裂させて、その相互対立作<br />
用から、第三の目の立場で統治しなさい」です）という分割統治の手法が徳川<br />
幕府により、本願寺派に対して応用され、東本願寺（ <a href='http://www.tomo-net.or.jp/'>http://www.tomo-net.or.jp/</a> ）、西本願寺（ <a href='http://www.hongwanji.or.jp/'>http://www.hongwanji.or.jp/</a> ）に分割して、幕藩体制の中<br />
に、一大勢力を誇った本願寺派を組み込んでしまった・・・と言われています。</p>

<p><br />
結局、軍事面では、火縄銃の導入、そして・・・輸入甲冑あたりが「南蛮甲冑」<br />
として、そのファッション性と防御力から当世具足（ <a href='http://homepage3.nifty.com/kaccyuu/kosei.html'>http://homepage3.nifty.com/kaccyuu/kosei.html</a> ）に影響を与えた程度であったのです。</p>

<p><br />
日本は、本格的な軍事革命を幕末維新の動乱で経験することになります。<br />
それは、官軍により、幕府軍に対して遺憾なく発揮され、数々の戦闘において<br />
幕府軍を圧倒しました。</p>

<p><br />
・まとめ</p>

<p>"日欧交渉史"を見直すと、スペインも日本も、布教・交易・異文化交流とい<br />
うような「平和・友好・通商」の名の裏に潜むリアルな"国際政治"の危険な<br />
姿が見え隠れするものとなっています。これが"日欧交渉意外史"と考えられ<br />
るところです。</p>

<p><br />
"日欧交渉意外史"とは、スペイン・日本両国の有する"海洋国家"としての<br />
性格を軸として、当時の状況を観察すると分かり易いでことでありましょう。<br />
即ち、海洋国家の基盤である"海軍"という「軍事アイテム」には、<br />
必ず"基地"が必要となります。ここに注目してみてください。</p>

<p><br />
即ち、当時のスペイン領メキシコ～マニラを結ぶ環太平洋周回航路において、<br />
黒潮海流に沿って港湾としての適地を有している日本（長崎、三浦半島、三陸<br />
リアス式海岸など）は、条件的に中継・補給に至便であり、太平洋の覇権獲得、<br />
ついで支那大陸への覇権拡大（通商圏の確保）を念頭に置けば・・・どうなる<br />
か・・・即ち、 "地政学的"には、良い「基地」として絶好の地の利を備え<br />
ているもの・・・それが当時の日本なのです。</p>

<p><br />
この日本の地の確保が潤沢な交易をもたらし、その結果、スペインがイギリス<br />
やオランダやフランスとの覇権争奪戦に敗れるタイミングがズレ、本当の没落<br />
に至ったのかどうか、これも興味深いところでありましょう。</p>

<p><br />
もし、日本人の文化レベルが低いか、あるいは戦国時代の"内戦の決着"にイ<br />
タリア半島やアステカ帝国やインカ帝国の事例の如く、外国勢力の支援を依頼、<br />
あるいは依存したのならば、所謂、日本には、かつてのマカオのような外国の<br />
拠点が設置されたか、日本列島の一部が占領されてスペイン語の地名になって<br />
いたか、あるいは「元寇」ならぬ「南蛮寇」が当然の帰結として発生していた<br />
ことも考えられることなのです。</p>

<p><br />
もし、最悪そうだったのなら・・・この日本の支配者には、スペイン系スペイ<br />
ン人が、官僚クラスには混血人が、そして最下層に日本原住民が・・・という<br />
構造になり、全員がカトリック教徒で、四天王寺も東大寺も、その上に大聖堂<br />
が建てられていたことでしょうし、スペイン国王を戴き、流暢なスペイン語を<br />
話し、最下層の日本原住民が語彙の半分近くがスペイン語起源のものになった<br />
面白い日本語を話すことになっていたかも・・・知れません。</p>

<p><br />
名前も洗礼名がファーストネームになり、日本風の名字の付いている者は、<br />
そのまんま被支配者を表すものとなっていたでしょう。もちろん、『源氏物語』<br />
など異端なので、古典は殆どが焚書されて、神社も仏閣もその痕跡すら残って<br />
いなかったことでありましょう。</p>

<p><br />
これは、ラテン系の方法論であり、一方、その対極としてのアングロサクソン<br />
系の方法論はどうなのか？みなさん、考えて見てください。（そして、このラ<br />
テン系よりも「えげつない」方法論でいろいろ工作しているのが支那です。<br />
改正国籍法問題とか、世襲制親子売国政治屋の魂胆たるや恐ろしい限りです。）</p>

<p><br />
反対に、松村劭氏が数々の著作（『名将の戦争学』、『新・戦争学』、『ゲリ<br />
ラの戦争学』など）の中で指摘されるように、日本がスペインやオランダなど<br />
から、陸軍と海軍の編制を学び、軍事制度も確立させ、欧州式の軍事を自分の<br />
ものとしていたなら、現在のメキシコやアメリカ西部、あるいはフィリピン、<br />
マレー、インド方面までが日本の経済領域に入った可能性も考えられましょう。<br />
ということは、日本語の通用圏も拡大していたのでありましょう。</p>

<p><br />
さらに、当時、軍事の導入と同時に、欧州の政治哲学や政治思想も平行して日<br />
本に導入されていたとすれば、その後、明治以降に鎖国から脱却するための<br />
"欧米コンプレックス"も出現せず、意外と持たざる国というような思考回路<br />
が出来上がっていたのか、そうではなかったのか・・・考えて見ると興味深い<br />
点が見つかるかもしれません。</p>

<p><br />
これは、16世紀に軍事面で欧州との同時代性を見せ、その他の分野でも欧州の<br />
文物に対する弾力性を表していた日本として考えられることなのです。</p>

<p><br />
次の実例とも比較する必要があります。</p>

<p>即ち、兵頭二十八氏の著作（例えば、『新しい武士道　軍学者の町人改造論』<br />
など）の中で指摘されていることですが、幕末維新の闘争に関し、勤皇派・佐<br />
幕派共々、東アジアに覇権を求めてやって来た欧州列強諸国から、いくらでも<br />
支援を受けることは可能であったことで、列強諸国もむしろそれを待ち望んで<br />
いた・・・のでした。</p>

<p><br />
そして、兵頭氏は、もし、勤王派か佐幕派のどちらかがそうしたのなら、目的<br />
は、それぞれ達成可能となり、"複数の日本"が誕生していた可能性もあった<br />
のだが、しかし、当時の日本人は、お互いが敵対関係にあっても、外国勢力に<br />
依存するようなことはしなかった・・・と指摘されています。</p>

<p><br />
また、続いて、第二次大戦終了時とそれ以降の日本人為政者たちの行動・態度、<br />
それに現在の政治屋たちと言われるような人々と比較する必要がある・・・と<br />
いうことまで指摘されているのです。</p>

<p><br />
日本軍事史や日本政治史を通時的に考察する際、これは、大変興味深い実例と<br />
なっています。</p>

<p><br />
本当に、欧州の軍事革命が当時の日本に導入されていたら、かなりの数の軍事<br />
用語や海洋関係用語が外来語として日本語の語彙に残存していたことでありま<br />
しょう。しかし、スペイン語やポルトガル語からは（防具の"まんちら"を除<br />
いては・・・）、カステラ、襦袢、テンプラ、おじや、コンペイトウ等の食品<br />
や当時なりに珍しい物以外は、全く、今日に至るも定着も残存もしていません。</p>

<p><br />
・ここから何が言えるのか</p>

<p>16世紀、スペインも日本も、レベルの差こそあれ、所謂、"現実主義的な団体<br />
利益の追求"を鮮明にしていた同時代性があり、このような条件を背景として<br />
新兵器＝火器を共通項とした軍事革命の同時代性が認められるものです。</p>

<p><br />
しかし、以降、軍事面での交流は、消極的・操作的・制限的なものに変化して<br />
行きました。その理由としては、お互いに"国際政治のリアリズム"をその根<br />
底に孕んでいる立場と条件をよく認識していたからでありましょう。</p>

<p><br />
軍事は表だって伝授しない・・・というのが世界の相場です。だから・・・頭<br />
を使って観察し、考察を行う訳です。</p>

<p>（「当時の軍事って、軍事って、そもそも表だって教えないものでしょ。だか<br />
ら当時のことなんか分かんないよ～」というのが都内にある高偏差値大学のス<br />
ペイン史の権威・・・という某教授の日本イスパニヤ学会でのご高見でした。）</p>

<p><br />
当時の日本人の軍事事象における資質（センス）が「外から分析・考慮された」<br />
が故に、自らの対抗策に利用されると"外国勢"にとっては危険になる・・・<br />
という「日本の軍事革命」の成立条件を次のア）とイ）の両面から指摘するこ<br />
とが可能でありましょう：</p>

<p><br />
ア）ハード面：野戦砲、攻城砲、馬、陸軍・海軍などの編制と編成に関する<br />
"ノウハウ"、また、築城術（当時の要塞構築の方法）等</p>

<p><br />
イ）ソフト面：その「発想の淵源」となるべき軍事哲学・軍事思想等（当時の<br />
啓蒙思想等も含めて）</p>

<p><br />
これら両面の伝播は、「日本・スペインの96年間にもわたる交流」という事実<br />
にも関わらず、全くその形跡が見当たりません。特に、キリスト教関連の文学<br />
作品である「スペイン神秘文学」の翻訳などは見られますが・・・その他の軍<br />
事や戦略につながる"ジャンル"は現存していません。</p>

<p><br />
欧州の軍事を導入することに成功した当時の日本の将来とは、その海洋国家と<br />
しての確立と共に、権益を求めていたアジア地域に強力な欧州のライバルが出<br />
現する可能性に直結するものであった．．．と考えられるのです。</p>

<p><br />
上記のことは、明治時代、欧州の軍事を導入することに成功した日本が海洋国<br />
家として確立し、海の覇権（シーパワー）を巡り、ついに米国と決戦に至る経<br />
緯と比較すると大変興味深い事例でありましょう。</p>

<p><br />
そして、重要なことは、「日欧交渉意外史」＝南蛮兵法の存在の可能性を確認<br />
するもう一つの観察点として、日本人が苦手とする諜報（インテリジェンス）<br />
の視点から「日欧交渉史」を再考してみることでありましょう。</p>

<p><br />
以上、「日欧交渉意外史」に見られる注意点は、「日欧交渉史」を改めて研究<br />
する上で、大変重要であり、今後、複雑化する国際関係の中で、スペインと<br />
同じく海洋国家の性格を持つ日本が「21世紀の国際平和戦略」（表向きの表現<br />
として・・・）を策定するにあたり、よく「彼を知り己を知る」ための貴重な<br />
ケース・スタディとして学ばれるべきものと思われるのです。</p>

<p><br />
最後に・・・みなさん！ここで、"ストラテジー"、"インテリジェンス"に<br />
興味のある方々へ興味深い案内をさせていただきたいと思います。何と日本の<br />
インテリジェンス界の第一人者である太田文雄氏の講演会が間もなく横浜で開<br />
催されます。</p>

<p><br />
太田氏は、元防衛庁情報本部長、現防衛大学校安全保障・危機管理センター長、<br />
戦略研究学会 <a href='http://www.j-sss.org/'>http://www.j-sss.org/</a> （入会希望者はサイトより可能）、<br />
軍事史学会 <a href='http://wwwsoc.nii.ac.jp/mhsj/'>http://wwwsoc.nii.ac.jp/mhsj/</a> （入会希望者はサイトより可能）<br />
でご活躍中です。</p>

<p><br />
太田氏が、日本における"インテリジェンス・ブームの火付け役"となったこ<br />
とはみなさんご存じのところでありましょう。太田氏の最初の著作が嚆矢と<br />
なり、それからというもの雨後の竹の子の如く、俺も俺もとインテリジェンス<br />
を語る方々（かたがた）が方々（ほうぼう）で"生えて来て"、日本人にイン<br />
テリジェンスの感覚を呼び覚まさせたところなど、本格的なインテリジェンス<br />
の観察点から眺めてみると、その戦略的な効果は絶大であり、太田氏の業績<br />
は、まさしく「勲章」ものでありましょう。</p>

<p><br />
太田氏のインテリジェンス基本三部作である<br />
（1）『「情報」と国家戦略』、（2）『インテリジェンスと国際情報分析』、<br />
（3）『日本人は戦略・情報に疎いのか』<br />
（詳しくは、 <a href='http://www.fuyoshobo.co.jp/index.html'>http://www.fuyoshobo.co.jp/index.html</a> をご覧ください）が<br />
現在好評発売中です。</p>

<p><br />
（インテリジェンスを基礎から学びたい方は、この三冊を数字の順番にじっく<br />
りと読まれることをお勧めいたします）</p>

<p><br />
これらの中で『インテリジェンスと国際情報分析』は、つい最近ですが、かな<br />
りの興味深い内容が増補された改訂版が出たことは、軍事情報で紹介されたと<br />
ころです。</p>

<p><br />
昨今、知らない間に・・・のお話しですが、軍事大国であり、核保有国であり、<br />
チベット、ウイグルを制圧し、世界に覇道を唱えている"支那"への属国化を<br />
世襲政治屋が日本国籍を簡単に与える制度を法制化する試みなど、ここから<br />
読み解くと面白いと思います。</p>

<p><br />
詳しくは、軍事関連図書の専門店（古書含む）である『軍学堂』のサイト<br />
<a href='http://www15.ocn.ne.jp/~gungaku/kouzahp.htm'>http://www15.ocn.ne.jp/~gungaku/kouzahp.htm</a> をご覧ください。<br />
サイトから申込が可能です。</p>

<p><br />
みなさん、今回で16世紀のスペインと日本の出会いに関するシリーズがやっと<br />
終わり、次回から、いよいよ、"欧州"というものをバックとしたスペインに<br />
ついて、様々な角度からより興味深い講座を開始いたします（特に、誰にでも<br />
出来るゲリラ戦の方法論の学習とその実践など）。</p>

<p><br />
基本的にみなさんは、理念、政治、戦略、戦術、兵站、情報、地政学という<br />
言葉がおなじみになって来たと思います。また、リーダー論（詳しくは、孫子<br />
塾塾長・佐野寿龍先生の解説： <a href='http://sonshi.jp/sonnsijyuku.html'>http://sonshi.jp/sonnsijyuku.html</a> を熟読<br />
吟味ください）についても考えるようになってきたと思います。</p>

<p><br />
益々、内容的には、武闘派育成講座も射程に入れて展開して参ります。みなさ<br />
んの本講座を通じての軍事・武闘センスのますますの発展を祈念いたしており<br />
ます。乞御期待！</p>

<p><br />
（つづく）</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>【第１２講】　比較軍事史から考える</title>
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    <published>2008-11-06T01:43:46Z</published>
    <updated>2008-11-02T12:47:26Z</updated>

    <summary>徳川幕藩体制は、この欧州の哲学・思想分野に関しては、かなり神経質な態度を取り続けています。このようなことが近代日本の基礎となった明治以降の日本人の西洋や欧米といったものに対するものの見方と考え方にかなりの反作用を及ぼしたと考えられるのです。</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://espania.okigunnji.com/">
        <![CDATA[<p>孫子塾副塾長・孫子塾関西支部長<br />
同志社大学／京都外国語大学・スペイン語非常勤講師<br />
米田 富彦<br />
<a href='http://espania.okigunnji.com/2008/06/post-1.html'>http://espania.okigunnji.com/2008/06/post-1.html</a></p>

<p><br />
先ずは、みなさん！</p>

<p>今月9日～14日の間、スペイン王国国王フアン・カルロス一世陛下及び同王妃<br />
陛下が日本を国賓として訪問されます。</p>

<p>スペイン国王フアン・カルロス一世と聞けば、平成19年11月10日、チリのサン<br />
ティアーゴで行われていた「第17回イベロアメリカ首脳会議」にご出席になり、<br />
会議中、ベネズエラのチャベス大統領が現スペイン国首相に対して、<br />
スペイン・米国間関係を批判して、一方的にまくしたてている時に、<br />
"Por que' no te callas"(*)(英語で相当の表現にするとWhy don't you shut<br />
 up?になる。「お黙りなさい」の意味。)とおたしなめになられました。</p>

<p>（*）正確には、文頭に「?のさかさまになった文字」と、文末に「?」が入り<br />
ますが、テキスト編集では文字化けするので、割愛しています。（おき軍事）</p>]]>
        <![CDATA[<p>この台詞がスペインの携帯着メロで大ヒットしたことが知られています。<br />
YouTube（ <a href='http://jp.youtube.com/watch?v=gzu6NIXPPA8&feature=related'>http://jp.youtube.com/watch?v=gzu6NIXPPA8&feature=related</a> <br />
英語字幕あり）でご覧いただけます。</p>

<p><br />
（注意しなければならないのは、このようなスペインやラテンアメリカに関わ<br />
る事象を調査する際、意外と"左巻き"系統の思想家・活動家、あるいは、<br />
シンパとかが大学で教授をしていたり、研究家を標榜し、その数が結構いて、<br />
もっともらしいことを公開したりしているので、自分自身にアンチ・ウイルス<br />
・ソフトを常駐させておくことが必要だということです。）</p>

<p><br />
国王に同席しているスペイン国サパテロ首相とは、前政権のアスナール首相と<br />
は異なり、政治的な立場も態度も反対の方です（サパテロ首相は、元々、与党<br />
ではなく野党でした。かつての列車テロ以降の選挙で勝利したのです）。が、<br />
会議中、反米のチャベス大統領が前アスナール首相を当時のスペインと米国<br />
（イラクがらみ）との関係から激しく"口撃"して来たのです。</p>

<p><br />
サパテロ首相は、前首相も同じ民主主義で選出されたことから、ここはきちん<br />
と"筋を通して"民主主義国家として反論するのです。しかし、チャベス大統<br />
領がまくし立ててくるので、国王がたしなめたのです。</p>

<p><br />
この国際会議の中で、並み居る各国の代表を前にして、スペインの国王と首相<br />
の毅然とした態度と言動は、今の日本の与党にせよ、野党にせよ、比べて見れ<br />
ば、日本が情けなくなって涙が出てくるところでもあり、スペインの国民が本<br />
当にうらやましいとさえ思えます。</p>

<p><br />
歴史認識がどうのこうので、スグに外国に売り飛ばすような政治家が沸いてい<br />
るような日本とは違います。本当の政治家とは、ここで身代わりになってでも<br />
守ってやるのが本当です。これぞ、ノーブレス・オブリージュ。心根賤しい成<br />
り済ましサムライが政治家とは笑わせる時代です。</p>

<p><br />
（今の日本の与党も野党も、結局、国民泣かせに変わりはありません。本当に<br />
国民を笑わせて、観世音菩薩のような"畏れを無くすを施す者"＝施無畏者の<br />
如き政治政党や政治家はいるでしょうか？絶対にいません。しかし、そのよう<br />
な問題を解決するのがみなさんの心一つなのです。）</p>

<p><br />
ここで、話題にもなりましょうから、現代のスペイン事情について知るには：</p>

<p>スペイン大使館（ <a href='http://www.spainbusiness.jp/icex/cda/controller/pageGen/0,3346,4928839_35729229_35711268_0,00.html'>http://www.spainbusiness.jp/icex/cda/controller/pageGen/0,3346,4928839_35729229_35711268_0,00.html</a> ）や<br />
日本の外務省（ <a href='http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/spain/data.html'>http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/spain/data.html</a> ）<br />
を参考にして情報を仕入れてみてください。</p>

<p><br />
また、訪日予定は、<br />
外務省（ <a href='http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/press/release/h20/10/1183864_918.html'>http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/press/release/h20/10/1183864_918.html</a> ）をご覧ください。</p>

<p><br />
では・・・今回は、前回からの続きです。<br />
（前回の記事はこちらで⇒ <a href='http://espania.okigunnji.com/2008/10/post-7.html'>http://espania.okigunnji.com/2008/10/post-7.html</a> ）<br />
スペインから日本へと色々と導入されそうでされなかった「軍事的事象」につ<br />
いての観察を勧めて行きたいと思います。</p>

<p><br />
みなさんは、導入されていたらどうであったのか、あれこれと考え、自分の思<br />
考と感情・心理的な嗜好を以て、次の段階へと加工することは、所謂、歴史小<br />
説家の世界でありましょう。</p>

<p><br />
しかし、あなたにやっていただきたいのは、スペインとの交渉を観察しながら、<br />
日本人そのものの思考と行動について知るということです。これは、「己を知<br />
る」、このための習慣づくりの一助となればと思います。</p>

<p><br />
軍事的事象について観察する際には、言わずもがな・・・のことがあります。</p>

<p>それは、「戦い」とは、即ち、我と相手との自由性に基づいて展開されている<br />
衝突的、摩擦的な事象であり、所謂、それは、因果の法則通り、過去の"因"<br />
により、現在の流動的、瞬間に次ぐ瞬間の中での千変万化を経て、そして"果"<br />
となる未来へとつながっている「問題の解決に他ならない」ということです。</p>

<p><br />
その問題とは、どうあれ、みなさんは規模の大小、関与の多少、感情的な善悪<br />
はあれども「当面するもの」なのであります。</p>

<p><br />
故に、勝負をして、白黒を着ける訳です。</p>

<p>これが"表"です</p>

<p>そして、同時に、これらの"裏"には、勝負をしない、白黒を付けない・・・<br />
という考えがあり、それらの方法もある訳です。</p>

<p><br />
軍事と言えば、このような「表裏一体の基礎的な考え」があるので、「敵対性」<br />
とは何か？とか、「敵愾心」とは何か？とかについて、そして、平和創造の要<br />
素ともなっている「破壊的な事柄」や「罠にはめたりする狡猾さ」についても<br />
自ずと"総合的に思考を巡らせる"必要が生じて来て、それが当たり前になっ<br />
ているものです。</p>

<p>（即ち、大きな観点から言えば、"武道心＝総合的頭脳活用法"とか言われる<br />
ところです）</p>

<p><br />
しかし・・・ありがちなこととは、軍事的事象が語られるところでは、多くの<br />
場合、この肝心の"武道心"のところを抜いて、理論（本当は、"理屈"とい<br />
うものです。理屈は、どこに存在しているのが？それは、脳の中に於いてです。<br />
即ち、ヴァーチャル世界であります。要は、頭で分かったつもりとか、頭だけ<br />
で処理しようとするようなこと）で押し切ろうとするような興味深い傾向が<br />
あります。</p>

<p><br />
みなさんは、この違いを今一度、反芻しつつ、認識しておくことが必要です。<br />
サイト『古伝空手・琉球古武道（ <a href='http://kodenkarate.jp/ryukyukobu.html'>http://kodenkarate.jp/ryukyukobu.html</a> ）」<br />
にある「琉球古武道」の"孫子兵法と古伝空手・琉球古武術との関係」、<br />
サイト『孫子に学ぶ脳力開発と情勢判断の方法』の「孫子時評・第11回」<br />
（ <a href='http://sonshi.jp/jihyo.html'>http://sonshi.jp/jihyo.html</a> ）にある孫子塾・塾長、古伝空手・拓心観<br />
道場の佐野寿龍先生による詳しい解説をここで必ず熟読して、先ずは、「違い<br />
の分かる人になること」、「侍の思考と行動についてそれは一体何か自分の思<br />
考と行動で体験する」、「言葉と現実は異なるもの」といった基本的な段階を<br />
登り重ねながら、自分自身を"それなりランクアップ"し、"武闘派として<br />
慣らして行って"ください。</p>

<p><br />
では、始めましょう。</p>

<p><br />
12．比較軍事史から考える</p>

<p>・日本の「国軍」の"編制・編成"の問題</p>

<p>これについては、もっと比較軍事史の点から考えられてもよい問題点です。<br />
が、16世紀の日本では、幕藩体制（要するに徳川一家による世襲的な軍事独裁<br />
政権）の故、スペインのような、国家を背景とした統合的な軍事力は、当然の<br />
ことながら、全く成立することはありませんでした。</p>

<p><br />
これを、豊臣家ならどうなったかとか、その他の戦国大名ならどうなのか、<br />
もしくは、勤王的勢力が日本を支配していたらとか、いろいろと考えてみると<br />
面白いと思います。そして、仮に成立していたら、大陸や太平洋を越えたあた<br />
りに「東インド会社」のような国策の経済団体など存在したかも知れません。</p>

<p><br />
ここでは、次のような興味深い点が指摘されます。</p>

<p><br />
ア）陸戦能力について</p>

<p>戦国時代に終止符を打った徳川家康は、"元和堰武"以降、スペイン以外の外<br />
国（これはスペインの敵対国でした。即ち、イギリスとオランダです。ウィリ<br />
アム・アダムス、ヤン・ヨーステンらの存在に注意してください）とも通じて、<br />
海外における十分な軍事知識を獲得する機会がありながら、スペイン軍やそれ<br />
に敵対していたイギリス軍やオランダ軍の軍制改革・軍事技術の変革に伴う<br />
欧州の軍事革命とは、何故か、距離を置いていました。</p>

<p><br />
そして、徳川家康は、日本の支配者として君臨しつつも、外国勢力への対抗力<br />
は、全くと言って良いのですが・・・整理していません。</p>

<p>ここでぬかりなく、外国勢力への対抗力の組織はおおやけには無理でも、<br />
外国情報には敏感で努力していたところもありましょう。即ち、薩摩あたりです。</p>

<p><br />
また、ここでは、英語で"レネゲイド"などという、キリスト教棄教者（要す<br />
るに南蛮浪人です）の存在も陰ながら・・・考えられましょう。</p>

<p><br />
しかし・・・欧州の軍事革命との同時代性を考慮すれば、ここから日本の軍事は、<br />
足踏みすることとなったのでした。</p>

<p><br />
即ち、当時の欧州で現れてくる「常備軍的」な武闘組織、要するに、当時なり<br />
に考えられても良さそうな「日本軍」の創設もなく、また、欧州に見られる<br />
混合戦術の研究も何も実施されなかったのでした。</p>

<p><br />
詳しくは、松村劭著『名将たちの戦争学』文春新書、2001をご覧ください。<br />
また、松村氏の著作には、本当に大学でスペイン史の専門家を自称・標榜して<br />
いるような先生方とは、本当に質的に「雲泥の差」のある、軍事専門家からの<br />
スペイン軍事史に関する記述が多々ありますので、参考にしてください。</p>

<p><br />
イ）海戦能力について</p>

<p>日本は、豊臣秀吉による朝鮮の役の後も水軍の改善・整備を行うことはありま<br />
せんでした。当時のスペイン、イギリス、オランダ等の先進的な"海軍"の編<br />
制や進んで造船技術を採り入れた外洋型艦船の建造も本格的に学び身につける<br />
こともなく、逆に鎖国を行い、厳しい法度で船舶の建造や航路を規制するので<br />
した。</p>

<p><br />
このようなところから、伊達政宗によって派遣された、支倉常長を団長とする<br />
慶長遣欧使節（遠藤周作著『侍』のモデルになっています）の目的を戦略的観<br />
点から再考すると、伊達政宗は、スペインの太平洋航路沿いに位置する三陸の<br />
リアス式海岸に良港を設営し、スペインとの軍事同盟によって新政治体制の設<br />
立、あるいは奥州藤原氏の先例に倣い、東北地域での独立国の可能性も"想像"<br />
されるのです。</p>

<p><br />
（これは、歴史小説にすれば、とても面白いと思います・・・ひょっとすると、<br />
塩竃港あたりなど"サンタ・エスメラルダ"とかいうようなスペイン風の名称<br />
になっていて、"どこぞの変なスペイン語の先生"より、よっぽど上手なスペ<br />
イン語を話す混血のイケ面とか美人なんぞが多数住んでいるところが出来上が<br />
っていたかも知れません。）</p>

<p><br />
・軍用馬の輸入について</p>

<p>フロイス自身が日本の馬は、ポニーのような小型馬であると記述しています。<br />
が、何故か、日本とスペインとの長い交易期間の内では、軍事に最も有益な<br />
外国産の馬は、日本に輸入・定着していないのです。</p>

<p><br />
実際に外国から馬が輸入されて日本の軍用馬の馬格改造に挑むのは明治以降の<br />
ことでした。ここから戦国時代の騎馬軍団の実態（特に機動突撃について）も<br />
改めて見つめ直す意見が出て来ています。</p>

<p><br />
ここで、さらに付け加えると、欧州の畜産技術そのものが伝わらなかったと<br />
考えられます。もし、本格的な家畜の輸入があれば、去勢や交配（品種改良）<br />
等の技術と共に乳製品、そして、食肉（加工・料理も含めて）の方法も伝わる<br />
と考えられるものです。</p>

<p><br />
和菓子になったカステラやコンペイトウのような"レベル"での和風の肉加工<br />
食品（所謂、西洋のハムなり、ソーセージなりのようなもの）とか、炙り焼き<br />
やオーヴン形式での肉料理など見られません。これは、食文化の観点や注目さ<br />
れつつある食育の面からも大変興味深いところとなっています。</p>

<p><br />
また、一般人全体に肉食が定着していたのなら、現代のメタボリック・シンド<br />
ロームなどは、事前に漢方医学や日本的な養生法などを通じて、本当は、現代<br />
においてなかったのかも知れません。</p>

<p><br />
メタボリック・シンドロームなんぞ、これは、そもそも、戦後になって、米国<br />
の統治下においてのドサクサ時期（所謂、食料欠乏の苦しい立場の時期）に<br />
日本の食文化や食習慣が変更され、摂取する肉や油の量が増え、食の慣習その<br />
ものが変質したものと考えられます。</p>

<p><br />
・騎乗銃兵について</p>

<p>上記と関連して興味深い点は、伊達政宗の軍には、騎乗ピストル銃兵が登場し<br />
ており、これとよく似たものが欧州では"カラコール戦法"（ピストルでの<br />
馬上射撃を列単位で行い、次の列と入れ替わり、反復して攻撃する戦法。<br />
ちなみにスペイン語で"caracol"という語は、馬術の半回転の他に、カタツ<br />
ムリ、巻き貝、渦巻き毛の意味もあります。）として知られています。</p>

<p><br />
伊達氏のものについては、発想的には、伊達政宗と懇意であったスペイン人<br />
宣教師ソテロの存在もあり、慶長遣欧使節（遠藤周作著『侍』で有名。太平洋<br />
を横断し、メキシコを通過、大西洋を渡ってスペインまで行っています）も<br />
実現しているところから、欧州のものを伝聞した可能性が考えられます。</p>

<p><br />
しかし、欧州では「軍事に馬を組み合わせて活用」（騎兵、牽引、輸送等）<br />
することが見られ、特に騎乗して戦闘する発想が継続的に発展（後に龍騎兵な<br />
どへ）して行くのですが、日本では幕藩体制以降、伊達軍のような事例は消滅し、<br />
欧州の「騎兵」的な発想を持った戦闘集団が登場するのは、幕末維新の戦闘<br />
（官軍側に騎兵隊があったでしょうか。その反対の幕府軍側においても．．．<br />
です）でも見られず、そのようなことは、近代陸軍を創設した明治以降のこと<br />
なのです。</p>

<p><br />
（ひょっとして、スペイン式の戦闘術は、当て字を使ったりしつつ、古流の<br />
馬術や砲術などに相伝されているかも知れませんが・・・。ウイーンには<br />
「スペイン馬術学校」がありますが、欧州流儀の馬術もあったのかどうか・・・<br />
調査や確証は、今後のきちんとした研究者たちの課題でありましょう。）</p>

<p><br />
・甲冑について</p>

<p>欧州からの輸入甲冑が南蛮甲冑として使用されました。また、その対銃弾用の<br />
効果的な機能は、"縅（おどし）"ではない金属一体化構造の故なるもので、<br />
これが日本の「当世具足」にも影響を与えて、その模倣品も作成されるように<br />
なったものです。織田信長や徳川家康のものは知られています。また、<br />
劇画『花の慶次』にも、主人公着用のものとして、たびたび現れているようです。</p>

<p><br />
最近では、五月人形にも上杉謙信や伊達政宗着用という南蛮甲冑が現れて来ま<br />
した。参考までに大阪・松屋町の老舗・久宝堂（ <a href='http://www.kyuhodo.co.jp/gogatsu/nanban_kacchu.htm'>http://www.kyuhodo.co.jp/gogatsu/nanban_kacchu.htm</a> ）のサイトをご覧ください。</p>

<p><br />
（松屋町・・・ですが、大阪では、玩具や人形の問屋さんの多い通りです。<br />
大阪の悪い冗談などでは、「悪いドタマ（頭の意味）、松屋町（"まっちゃま<br />
ち"と発音）行って、変わりをこーてこいや（買ってこい）」と言うと、<br />
「そんなん売ってへんわー」などと返答しています。）</p>

<p><br />
この点、日本では、火器の普及に合わせ、それなりの防御対策が見られていま<br />
す。また、当世具足では「満智羅（まんちら）」という首周辺から上半身を守<br />
る"防弾チョッキ様"の鎧の下に着る"ライナー的な防具"が開発されています。</p>

<p><br />
これが元々、ポルトガル語と思われるところから察すると、欧州の甲冑を輸入<br />
して、そして影響を受けて出来た単語と考えられるものです。ちなみに、スペ<br />
イン語には、"mantilla"（マンティーリャ）というのがあり、女性が使う頭<br />
と肩を覆う薄絹のショールのようなものを指します。</p>

<p><br />
・軍事思想や政治思想の伝播について</p>

<p>当時の欧州からキリスト教以外の思想、即ち、スペイン・スコラ哲学、それの<br />
影響を受けたオランダ啓蒙思想、マキアヴェッリの政治思想やギリシア・ロー<br />
マの古典作品等が流入する機会はあったものと推察されますが．．．それらが<br />
日本人に本格的に伝えられた形跡は見当たりません。</p>

<p><br />
もし、流入していたら・・・伝統ある漢籍学者らがそれらの研究を開始して、<br />
17世紀以降には、それなりに独自の日本の哲学や思想を模索し始めていたこと<br />
でありましょう。また、日本の思想史には、多大な変化を与えていたことであ<br />
ろう．．．と考えられるのです。しかし、この面でも軍事と同じく日本には<br />
伝播していません。</p>

<p><br />
徳川幕藩体制は、この欧州の哲学・思想分野に関しては、かなり神経質な態度<br />
を取り続けています。このようなことが近代日本の基礎となった明治以降の<br />
日本人の西洋や欧米といったものに対するものの見方と考え方にかなりの反作<br />
用を及ぼしたと考えられるのです。</p>

<p><br />
・鎖国政策と日本の軍事</p>

<p>16世紀以降の欧州の軍事は、絶対王政の勃興からも分かるように、戦争状態が<br />
殆ど断絶することがなかったが故に、各国で政治、経済と共に継承・発展され<br />
て行きました。</p>

<p>また、軍事全体が、進んだ兵器の使用方法や軍の編制の問題、そして・・・<br />
政治・外交・社会等との関係から複雑化・深化して、単なる暴力の行使よりも、<br />
さらなる知的要素が必要不可欠となって行き、「戦争についての科学的研究」<br />
が発展して行くこととなりました。</p>

<p><br />
しかし、一方の日本では、元和偃武を経て、その後、「鎖国」を断行した結果、<br />
約250年間、徳川家の"世襲制軍事独裁政権"を現状維持させるための「幕藩<br />
体制」の下で、不満分子を制圧した"天下太平"の状態が現れた代りに、日本<br />
独自の道を歩むこととなりました。</p>

<p><br />
しかし、この徳川時代にこそ、武術の諸流派が整理され、儒学者（といっても<br />
その淵源たる筋は、"侍"がやっていました。ここを注意しなければなりません。<br />
これが日本の特殊性なのです）が軍学、兵学を研究し、それなりの"体系"が<br />
出来上がって行ったのです。</p>

<p><br />
徳川時代になると、16世紀に見られた日欧の軍事革命における同時代性（シン<br />
クロ）の動きは、停止を迎えることとなりました。その後、幕藩体制が崩壊<br />
（日本史では、日本政治の大規模な変革には、必ず外国の圧力が作用している<br />
点と合わせ考えると興味深いものです）して、近代国家として生まれ変わる<br />
明治維新までは、日本軍事史において軍事革命を体験することはなかったので<br />
した。</p>

<p><br />
途中、欧州の三兵戦術は幕府兵学者の高島周帆（東京の"高島平"の地名に<br />
残る）により紹介されましたが、既得権益に固執する当時の御用兵学者らに<br />
反対され、結実しませんでした。</p>

<p><br />
ところで、三兵戦術については、この"戦術"という言葉がオランダ語の<br />
"TAKTIKEN"の訳語であると考えられています。高野長英著『三兵答古知幾』<br />
の答古知幾（タクチーキ）や宮本武蔵著『五輪書』、山本常朝著『葉隠』にも<br />
"カチクチ"という言葉で出現している興味深い言葉です。</p>

<p><br />
維新後、それまで続いた約250年間の政治・軍事・経済の"鎖国によるトライ<br />
アッドの空白"は、"新生明治日本"によって一気に回復されることになりま<br />
した。それは、欧州様式の政治･軍事･経済の"トライアッド"を自らのものと<br />
し、欧州の先進的な軍事のハード・ソフトの両面を数年間の内に会得して、<br />
時代的格差を埋め、克服したのです。</p>

<p><br />
日本は、幕末維新や明治初期に日本軍事史において、自らに軍事革命<br />
（例："鳥羽伏見の戦い"での幕府側の戦国時代的装備に対し官軍側が西洋近<br />
代的装備で粉砕したこと、また、"西南戦争"での徴兵による国軍が士族集団<br />
に対し勝利を収めたことなど）を「仕掛け」、わずかの間に"革命事象"を<br />
達成することとなったのです。</p>

<p><br />
明治時代・・・ですが、同じ時代に、先んじて日本よりも欧州様式の軍事を<br />
導入し、当時の先端技術と兵器（例：大型戦艦：「定遠」、「鎮遠」等）を<br />
購入・装備していた清国を日清戦争で打ち破り、その後、日露戦争では、列強<br />
の軍事大国ロシアを陸戦、海戦共に退けたことは、東洋蔑視の当時、日本人が<br />
他のアジア人とは異なる「資質」を世界に見せたのであり、世界的にも注目し<br />
なければならない事実でありましょう。</p>

<p><br />
このことは、現在に至っても、世界が日本について経済や技術の競合に関して<br />
の潜在心理ともなっていると思われます。</p>

<p><br />
次回は、いよいよ16世紀の日欧比較軍事史の総括を行いたいと思います。</p>

<p><br />
次回でスペインとお付き合いするための、日本人としての常識というか基礎の<br />
ところを終了することになります。</p>

<p><br />
そして・・・やっと本番というか・・・12月からは、スペインから学び取れる<br />
戦略、情報、兵站、地政学、兵法、言語、文化などの盛り沢山のものを"欧州"<br />
とか、"人間"とか、"普遍性"とかいうような大きな概念をバックにしつつ<br />
進めて行きたいと思います。</p>

<p>みなさんが、ますますプロフェッショナル的になり、手練れとなられるよう<br />
プログラムを組んでおります。</p>

<p><br />
乞御期待。</p>

<p><br />
（つづく）</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>【第１１講】　日欧比較軍事史上の日本の特殊性</title>
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    <published>2008-10-23T01:02:29Z</published>
    <updated>2008-10-19T07:06:41Z</updated>

    <summary>日本と欧州とは、比較観察して見ると、16世紀あたりまで・・・軍事における同時代性（シンクロ）を現出させて来た・・・と言えましょう。しかし、日本は、</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://espania.okigunnji.com/">
        <![CDATA[<p>孫子塾副塾長・孫子塾関西支部長<br />
同志社大学／京都外国語大学・スペイン語非常勤講師<br />
米田 富彦<br />
<a href='http://espania.okigunnji.com/2008/06/post-1.html'>http://espania.okigunnji.com/2008/06/post-1.html</a></p>

<p><br />
今回は、講座開始の前に、スペインに関するもので、時期的にもみなさんに一<br />
見を勧めておきたい大変興味深い映画があります。</p>]]>
        <![CDATA[<p></p>

<p>『宮廷画家ゴヤは見た！Goya's Ghost』（ <a href='http://www.goya-mita.com/'>http://www.goya-mita.com/</a> ）です。</p>

<p><br />
専門的な映画批評・評論（監督、俳優、ストーリーなどの諸々の詳細点）や上<br />
映館並びに上映開始時間など、ハード面・ソフト面の分析については、上述サ<br />
イトやグーグル検索の方をご参考ください。</p>

<p><br />
本講座では、この映画について、戦略、情報、軍事といった一般とは異なった<br />
観点から、幾つかの面白そうな点を指摘して、生兵法を脱し（最も重要な基本<br />
的思考法は、「生兵法は大ケガの基と謂われますがその意味を教えてください」<br />
2006．1.1：<a href='http://sonshi.jp/sub70.html'>http://sonshi.jp/sub70.html</a> を必ず参照しておいてください）、<br />
あなたの「兵法センス」に磨きがかかるようにしたいと思います。</p>

<p><br />
第一のポイント、それは、スペイン人俳優ハビエル・バルデムが演じている<br />
"ロレンソ神父"の有する思想の遍歴と彼自身の生き様でありましょう。</p>

<p><br />
革命思想の兆していた18世紀末のスペインで、異端審問所（＊）を"中興"さ<br />
せたガチガチのカトリック（所謂、当時の保守的立場からすれば"原理主義的"<br />
と言えましょう）であったロレンソ神父（ハビエル・バルデム演）が、何と異<br />
端の容疑で拘束されていた少女（「スター・ウォーズ」や「レオン」のナタリ<br />
ー・ポートマン）に面会・尋問の際に手を出して妊娠させてしまったことで身<br />
を追われ、フランスに逃亡してしまいます。</p>

<p><br />
（＊）異端審問所（Inquisicio'n：インキシシオーン）とは、宗教的な要素よ<br />
りも、むしろ一つの政体の中での内務省的な要素を多く含むような・・・公的<br />
かつ権力的な機関でもあり、所謂、思想警察・思想検事・思想裁判の三つを兼<br />
ねたようなところがあります。</p>

<p>「スペイン史」というより、組織管理（モラール：士気の維持）、"督戦"に<br />
関する方法論などをキーワードとして、戦略と情報の観点から見つめ直すと色<br />
々と興味深い点が発見されるでしょう。</p>

<p><br />
（"スペインの異端審問所"は、また別の意味で"特殊な性格"を有していま<br />
す。現在、書店で発売中の『属国の防衛革命』の兵頭二十八氏との共著者・太<br />
田述正氏による「アングロサクソン文明と軍事研究ブログ」<br />
（ <a href='http://blog.ohtan.net/archives/51150809.html'>http://blog.ohtan.net/archives/51150809.html</a> ）に興味深い解説が行わ<br />
れておりますので、ご参考になさってください。）</p>

<p><br />
逃亡先のフランスで、このロレンソ神父は、すっかり革命思想に転向してし<br />
まって、「不犯の身」であった神父から、一転して、結婚もして数人の子供も<br />
もうけ、ヴォルテールやルソーを礼賛し、「自由や平等や民主の思想に大いに<br />
覚醒し過去を改心」する「フランス魂のスペイン人」になっていたのでした。</p>

<p><br />
そして、何と侵略側であるフランス軍に所属し、フランス軍と共に、自らの祖<br />
国スペインに侵攻して来て、"異端審問所の思想"を取り締まる新しい思想を<br />
宣撫する役職を担い、かつてのカトリック教会での上司を逮捕し、今度は「フ<br />
ランス式の自由思想・民主思想」で以て裁きを下し、死刑を宣告するのでした。</p>

<p><br />
しかし、対仏ゲリラ戦の活発化、イギリス軍の参戦から形勢が逆転します（こ<br />
れは映画のシーンにも取り入れられています）。妻子と共にスペインから脱出<br />
する途中で"スパニッシュ・ゲリラ"の襲撃を受けて捕虜となり、今度は、死<br />
刑を下した教会の上司が判事となった法廷で死刑を宣告され、公開処刑（残酷<br />
ではなくて当時のならわし）されるのです。</p>

<p><br />
このロレンソ神父の「生き様、死に様、無様・・・」には、何となく「戦前・<br />
戦中」と「戦後」の某旭日旗をシンボライズしている権威筋大手マスコミ・・・<br />
とか、某帝国大学の御大教授あたり・・・とかの"白から赤へ"とかの比喩で<br />
捉えることも出来ましょう「傾奇ぶり」では済まされない「転向ぶり」などと<br />
「オーバーラップ」してしまうところがみなさんには大変面白いところである<br />
・・・と思われます。</p>

<p><br />
（所謂・・・今日における「外国魂の日本人」と「大和魂の日本人」の"格差<br />
社会"の現実こそ、現代日本の特徴となりつつあるところとも比較すると興味<br />
深いと思います。）</p>

<p><br />
最後は、ロレンソ神父は、フランス風の革命思想を諦めないというよりは捨て<br />
きれなかったのか、それを貫き通し、「スペイン風に」処刑されてしまったの<br />
でした。</p>

<p><br />
このスペイン風の処刑に"ガロット"という刑具が登場します。"一般的なも<br />
の"（ヴァリエーションあり）には、先ず、罪人を背もたれ式の椅子に固定し<br />
て座らせ、鉄製の首輪をはめます。次に、処刑人が罪人の背後からハンドル式<br />
になっている首輪の締め付け装置を回転させます。すると、ボルトが前進して<br />
行き、罪人の首の後ろを圧迫すると同時に前にはめられた首輪で窒息死させる<br />
という一種の絞首刑です。が、スペインはもとより、ラテンアメリカの植民地<br />
でも長らく使われたスペイン特有の死刑執行の方法でした。</p>

<p><br />
死刑には斬首系もあれ、絞首系もあれ・・世界にはそれぞれの共同体の有する<br />
「世界観」に従い、幾つかの"処刑"の方法論が見られるようですが、スペイ<br />
ンは"絞殺"（窒息死タイプ）が特徴的と言えましょう。</p>

<p><br />
この映画には、異端審問所での拷問を通じての告白を迫るシーンや、無実の異<br />
端容疑をかけられた少女の父親がこのロレンソ神父の身柄を逆に拘束して、拷<br />
問を通じてあることの宣誓に無理矢理に署名させるシーンがあります。人<br />
とは肉体的にも精神的にも「苦痛」というフィルターなるものに濾過されると<br />
非常に脆い点（白も黒も無く、有るのは"無色"の一点のみで、そこを"操作"<br />
すること）が存在していることを痛感させられる作品でもあります。</p>

<p><br />
「本格的で的確な拷問をかけると、どんな特殊訓練を積んだ手練れの者でも必<br />
ず口を割る。拷問に堪え忍んだと言っている者がいるが、それは拷問をかける<br />
方が"へぬるかった"だけ」とは、かつての特務機関関連のようなところでは<br />
伝えられたことでありましょう。</p>

<p><br />
京都・河原町三条東入ルに記念碑が建てられている、新撰組の大活躍で有名な<br />
「池田屋事件」にしても、そもそも、新撰組が身柄確保した"貝になりたい"<br />
容疑者に対する尋問に一切手を抜かず、今では考えられないような拷問を通じ<br />
て、見事、告白させた情報から、その武功が生じたものであることを思うと、<br />
この映画の意味も少しは異なった観点から鑑賞を楽しむことができましょう。</p>

<p><br />
久しぶりに・・・というか珍しく・・・スペインをテーマとした「重い作品」<br />
が日本で公開されていると思います。</p>

<p><br />
映画の中の台詞やシーンが全体的に興味深く、ナポレオンの言い分、フランス<br />
軍の所業（侵攻先での民間人への暴行や虐殺）、フランス軍司令官による部下<br />
兵士への激励の言葉、異端容疑の少女の家系について、家族中では父親が秘密<br />
にしていた先祖の出身地を異端審問所が調査して父親を驚かせるところ、少女<br />
が長年の拘束でボロボロ（恐らく、かの黒田如水が摂津有岡城にて荒木村重に<br />
拘束されて後、解放された際の姿もこのようであったのか・・・と思わせるよ<br />
うなシーンです）になって"侵略軍"のフランス軍に解放されたり、GHQと敗<br />
戦日本のドサクサ（解放という言葉の意味）とも重なり、114分という上映時<br />
間は、途中で飽きが来ないものとなっています。</p>

<p></p>

<p>長い前置きでした。</p>

<p>では、ここら辺から・・・そろそろ今回のテーマである16世紀当時のスペイン<br />
と日本との軍事的交流をまとめて行きたいと思います。</p>

<p><br />
11．日欧比較軍事史上の日本の特殊性</p>

<p>「織田信長が演出した"長篠の合戦"によって日本の軍事に新たな欧州の軍事<br />
の息吹が吹き込まれた」・・・というようなことは、日本軍事史における<br />
「軍事革命」という言葉を中心にして考えた場合、思い浮かぶ台詞でありまし<br />
ょう。</p>

<p><br />
（前回に紹介した「日本イスパニヤ学会」の某権威筋教授のご意見であった<br />
「長篠の合戦以降、日本では甲冑が廃れて、甲冑を脱いで合戦をするようにな<br />
った」とかの"革命"までは行かなかったとは思いますが・・・）</p>

<p><br />
日本と欧州とは、比較観察して見ると、16世紀あたりまで・・・軍事における<br />
同時代性（シンクロ）を現出させて来た・・・と言えましょう。</p>

<p><br />
しかし、日本は、軍事の分野では、スペインのような国（当時、他の欧州の国<br />
々やオスマン・トルコなどとの間で相互に政治や軍事の面で切磋琢磨の状況を<br />
呈していた世界の一流国でした）と出会い（1543～）、そこから徳川幕藩体制<br />
による鎖国政策（～1639）に至るまでには、何と96年間（約一世紀間）もの期<br />
間、このスペインとの交渉を有していたにも関わらず・・・即ち、「欧州の軍<br />
事的知識獲得の機会」を得ていながらも・・・それほど「欧州の軍事を摂取し<br />
ていない」（批判的に表現すれば・・・ですが・・・）という、かなり興味深<br />
くも特殊な状況が見られるのです。</p>

<p><br />
ここでは、日本軍事史の中で軍事革命を問題にする際、キーワードとなる軍制<br />
改革、三兵戦術（歩兵・砲兵・騎兵）、武器、築城術・・・などを踏まえつつ、<br />
以下に興味深い問題点を指摘することにしたいと思います。</p>

<p><br />
●欧州式軍用銃・火器戦術の無普及</p>

<p>1543年種子島に伝来した火縄銃とは、ポルトガル商人が乗船していた支那船<br />
（ジャンク船）の遭難事故が機会で漂着した際、彼らがたまたま護身用に持っ<br />
ていた頬付け式の狩猟用のもの（肩付け式の軍用とは異なる）が「偶然」とも<br />
言えるタイミングで日本人に売却されたものと考えられます。</p>

<p><br />
日本で普及した火縄銃は、元々、狩猟用（狙撃用、即ち、精密射撃向き）のも<br />
のが原型になったのでした。それが日本刀の鍛錬技術のお陰とも重なり、命中<br />
精度の高い精密射撃に向いたものとなり、「和風の発展」を見せた．．．と<br />
考えられています。</p>

<p><br />
このあたりの「飛び道具」に関する発想は、日本人の弓矢に対する概念とも比<br />
較すると興味深いですし、武器から徒手格闘という"戦い方"そのものへの根<br />
本的な考えについては、古伝空手（ <a href='http://kodenkarate.jp/kodenkarate.html'>http://kodenkarate.jp/kodenkarate.html</a> ）<br />
が大変良き参考となりますので必ず目をお通しになっておいてください。</p>

<p>また、詳しい考察については、兵頭二十八著『軍学考』中公叢書、2000をご一<br />
読ください。また、最近発売中のものに杉山頴男著『使ってみたい武士の作法』<br />
並木書房、2008にも解説がありますので参考になさってください。</p>

<p><br />
しかし、問題として、もし、スペインなどの欧州の国々が日本の内戦状態を観<br />
察、分析し、その状況判断から交易項目の内にそこはかとなく「軍事」を織り<br />
込んで "伝授"し、戦国大名の間の勢力バランスを工作していたのなら・・・<br />
自ずと「軍用銃」の流入も起こったものと考えられましょう。</p>

<p><br />
即ち、それは、精密射撃用ではなく、スペイン無敵陸軍"テルシオ"のように<br />
銃兵が集団で一斉射撃し、弾幕を張るための大量の銃を戦国大名に売却して、<br />
同時にかなりの利益を得よう・・・と考えるでありましょうし、武器売却と共<br />
に、そのための"戦術"をも日本人の幹部に対して教授する必要性（同盟軍と<br />
しての訓育）も考えることでありましょう。</p>

<p><br />
フロイスは、日本の鉄砲は、頬付タイプ、欧州は、肩付タイプと言っています。<br />
即ち、頬付タイプで照準が有り、狙撃するのが日本の火縄銃で、肩付けで照準<br />
が無く号令と共に一斉に集団で弾幕を張るのが欧州の火縄銃である・・・とい<br />
うことです。</p>

<p><br />
ちなみに、17世紀のバロックのスペイン絵画に止まらず、美術界の巨匠中の巨<br />
匠とされる「宮廷画家ベラスケスは見た！ドイツ三十年戦争」における軍事革<br />
命の変遷が華やかに展開されていた時、ベラスケスの手による狩猟姿の一連の<br />
ロイヤルファミリーの作品があり、当時の銃が猟犬（その種類が興味深い）と<br />
共に描かれております。</p>

<p><br />
（面白いところですが・・・バロックのスペイン絵画は、スペイン独自の流派<br />
や様式、即ち「スペイン派」というようなものは指摘されません。ベラスケス<br />
は、フランドル派の様式が強く、かの「フランダースの犬」のネロが大好きだ<br />
ったルーベンスとも親交がありました。）</p>

<p><br />
例えば・・・"ネルトリンゲンの戦い（1634）"でスウェーデン軍を撃破した<br />
フェルナンド枢機卿皇子（ <a href='http://www.artehistoria.jcyl.es/histesp/obras/234.htm'>http://www.artehistoria.jcyl.es/histesp/obras/234.htm</a> ）、<br />
国王フェリーペ四世（ <a href='http://www.artehistoria.jcyl.es/genios/cuadros/233.htm'>http://www.artehistoria.jcyl.es/genios/cuadros/233.htm</a> ）、<br />
バルタサール・カルロス皇太子（ <a href='http://www.artehistoria.jcyl.es/genios/cuadros/235.htm'>http://www.artehistoria.jcyl.es/genios/cuadros/235.htm</a> ）などです。</p>

<p><br />
これらとの比較で、ベラスケスによる戦争絵画の傑作とされる「ブレダの開城」<br />
（ <a href='http://www.artehistoria.jcyl.es/genios/cuadros/31.htm'>http://www.artehistoria.jcyl.es/genios/cuadros/31.htm</a> ）の画面右側に<br />
は、降伏したオランダ軍の兵士が肩に銃を担いだ姿で描かれております。</p>

<p><br />
以上の作品は、全てスペインが世界に誇る「プラド美術館」にて鑑賞すること<br />
が可能ですが、肖像画や絵画で描かれている銃は、そのためだけ（モデル用）<br />
のものであったのか？・・・考証的に比較観察すると興味深いと思います。</p>

<p>銃については、『歴史群像グラフィック戦史シリーズ戦略／戦術／兵器事典３<br />
　ヨーロッパ近代編』（学研　1995）の方がみなさんにはわかりやすいと思い<br />
ますので、こちらも合わせてご覧になってみてください。</p>

<p><br />
日本の火縄銃については、千葉県立中央博物館・大喜多城分館のサイト<br />
（ <a href='http://www.chiba-muse.or.jp/SONAN/kikaku/hinawa/index2.htm'>http://www.chiba-muse.or.jp/SONAN/kikaku/hinawa/index2.htm</a>）がかな<br />
り詳しく写真などを使って解説してくれていますのでご参照ください。</p>

<p><br />
テレビドラマでは、まるで侍大将の着用するような鎧甲に身を固めた武者が横<br />
列になり、火縄銃を構え、号令により一斉射撃をする場面（特に"長篠の合戦"<br />
の再現ドラマなど）がありますが・・・狙撃用の日本の火縄銃は、引き金が軽く、<br />
もし照準中に大声で号令をかけられると手元が狂うし、横列で密集していると<br />
他人の火薬にも引火しやすいものであった・・・と言われています。</p>

<p><br />
よって、火縄銃で密集隊形を作ることは、危険であった・・・ということでし<br />
た。ここから日本の火縄銃は、その原型が元々一斉射撃用ではない、即ち、<br />
スペインなどが使用していた欧州スタンダードの軍用銃ではなかったことが<br />
分かります。</p>

<p><br />
当時において、火縄銃は極めて"和風"に発展し、そして使用されていたので<br />
あった・・・と考えられましょう。このことは、幕末維新の動乱期における軍<br />
事情勢と比較考察すると大変興味深いものです。何故なら、幕末維新の時代に<br />
なると、日本では輸入兵器と共に、編制・編成、戦術等（ソフト面）も同時に<br />
欧州から習得し、"応用"しているからであります。</p>

<p><br />
●攻城砲及び野戦砲の無普及</p>

<p>欧州との交易開始後も日本では攻城戦及び野戦の類の合戦は、多数繰り返され<br />
ていました。これは、当たり前ですが・・・しかし・・・当時の欧州の戦場で<br />
は、普通に使われるようになっていた攻城戦や野戦のための「大砲」が組織的<br />
かつ効果的に活躍する場面は、1614年の"大坂冬の陣"くらいが知られている<br />
だけで、それも"戦術的に応用"されての戦果を考えてみると、疑問が残りま<br />
す。</p>

<p><br />
テレビ時代劇では、長槍を持った足軽が走り、騎馬武者が太刀を振りかざして<br />
突撃をかけて、背後に大砲が響き、シーンの中では、何人かが吹っ飛び迫力を<br />
出していますが．．．実際は違う様子です。</p>

<p><br />
"大坂冬の陣"以前の豊臣秀吉による"朝鮮の役"でも主に戦いでの遠戦兵器<br />
は、火縄銃が威力を発揮しており、優勢な明の軍勢を何回も撃退しています。<br />
この点のみが、「小銃重点主義」となっていた当時のスペイン陸軍との相似点<br />
を形成していると考えられるのです。</p>

<p><br />
日本において「大砲」が戦闘で本格的に"それらしい"活躍をすると考えられ<br />
るのは、1637年の"島原の乱"で、それもオランダ船（当時、欧州ではドイツ<br />
三十年戦争があり、プロテスタント側のオランダは、カトリックのスペインか<br />
らの独立をかけて戦っていた、所謂、スペインの"敵国"でした）に依頼して、<br />
海上から籠城勢力に向かって艦砲射撃を行ったものです。</p>

<p><br />
"島原の乱"（ここの戦闘員は、カトリック信者ですので、この点にもプロテ<br />
スタント・オランダの"助太刀"について調査すると興味深いと思います）の<br />
後、幕府に対してオランダから「ハラカン」という大砲が多数献上され、軍学<br />
者北条氏長は、稜堡形式の築城学「由利安牢攻城伝」を提唱し、一時、大砲へ<br />
の関心が高まった時期もありました。</p>

<p><br />
しかし、それ以降、幕藩体制下の日本国内で"戦争"や"合戦"は、起こるこ<br />
とはなく、実際に利用され始めるのは、猛々しき「もののふのDNA」が春のめざ<br />
めとなった幕末維新期における紛争事象においてであり、そこに至るまで、<br />
約250年の間は、大砲の活躍を待たなければならないのです。</p>

<p><br />
●城砦・都市の構造変化について</p>

<p>上記の点と関連しますが、「攻城砲」が猛威を振るったイタリア戦争以後、欧<br />
州の城砦は、中世の厚くて高い城壁・望楼などが恰好の砲撃目標となるので、<br />
「対攻城砲の観点」より、平地に築かれるようになり、要塞形式（かの函館の<br />
五稜郭はこれを習ったもの）へと変化して行きました。</p>

<p><br />
この要塞築城に長けていたのがスペインの敵国のオランダでした。高地ドイツ<br />
語（マルティン・ルッターの聖書翻訳のお陰で現在のドイツ語へと発展）に対<br />
して、低地ドイツ語（オランダ語やフリジア語。英語も元々は仲間です）の話<br />
される海抜ゼロメートル地帯がオランダの国土の特徴となっています。</p>

<p><br />
ちなみに長崎の「ハウステンボス」（ <a href='http://www.huistenbosch.co.jp/'>http://www.huistenbosch.co.jp/</a> ）は、<br />
背景に山並みのある「和風オランダの風景」が楽しめる所です。「志摩スペイ<br />
ン村」（ <a href='http://www.parque-net.com/index.html'>http://www.parque-net.com/index.html</a> ）の方は、スペインの風景<br />
が楽しめます。が、みなさん、本当は、現在に至るも、オランダとスペインは、<br />
歴史的経緯から、お互いに好きになれないようなところがあります。</p>

<p><br />
（もし、日本における経営戦略の問題で、「ハウステンボス」を「志摩スペイ<br />
ン村」に売却したり、反対に「志摩スペイン村」を「ハウステンボス」に売却<br />
したりすると・・・かの国々の国民にとっては、決していい気持ちはしないで<br />
ありましょう・・・）</p>

<p><br />
峻険な地形を有する日本では、元々、地の利を活かした山城が中心でありました。<br />
平地に城（平城）が築かれ、城を中心とした欧州の「都市」のようなものを形<br />
成して行くのは、織田信長の安土城から始まっていると言われています。</p>

<p><br />
しかし、平城が普及するようになり、そして"その当時"になると、すでに<br />
「大砲」の存在も認知されていながら、恰好の砲撃目標となる「天守閣」は、<br />
その多数が幕藩体制になってからも、幕末までは残存し続けていました。</p>

<p><br />
一方、徳川幕府は、自らが管轄する江戸城、それに譜代大名の管轄する城には<br />
「天守閣」の建造には固執していません。それは、経済的理由によるものか、<br />
幕藩体制維持の防衛対策（野心のある藩の財政を築城で溺れさせて逼迫状態に<br />
しておくことや、反抗する藩には砲撃目標になる天守閣があるので火砲攻撃が<br />
加え易くなる・・・などの理由）の一環としてなのかは、日欧比較軍事史の<br />
観点から再考すると興味深いでしょう。</p>

<p><br />
また、日本の城と"人口密集地"からなる日本的都市、所謂、今日、多く見ら<br />
れる「県庁所在地」や「合同庁舎の集まりやすい所」などを軍事的観点から考<br />
察すると、欧州型の都市は、標準機能として対戦闘のための「防災機能」を準<br />
備した「要塞都市」として建設されているのに対し、日本の城と"人口密集地"<br />
からなる日本的都市とは、この点、大変脆弱（人災はもとより、地震・火災に<br />
も・・・）であるという事実が指摘されましょう。</p>

<p>この点に関しては、兵頭二十八著『武侠都市宣言』に詳述されていますので<br />
参考にしてください。</p>

<p><br />
これは、現在までも実質的には変化していない"日本人の都市建設における弱<br />
点"となっています。今後、上述のような観点が公共的建物は当然として、<br />
一戸建てやマンション建設に盛り込まれると新しいセールスポイントになるか<br />
も知れません。</p>

<p><br />
日本における欧州型の城砦については、"大坂冬の陣"での真田丸の縄張りや<br />
1648年から築城が始まる播州赤穂城の縄張の一部が欧州の要塞形式を見せてい<br />
ます。が、赤穂城には、天守閣が建設されていない点が興味深いところです。</p>

<p><br />
来る西暦2013年には、日本の軍事史学会（ <a href='http://wwwsoc.nii.ac.jp/mhsj/'>http://wwwsoc.nii.ac.jp/mhsj/</a> ）<br />
がホストとなり、「国際軍事史学会」（外国では国防大臣が参加したり、参謀<br />
本部が開催を担当しているほどの学会です）が開催されますが、みなさんも日<br />
欧比較軍事史などをテーマとして研究を進められておくと、参加者の間でも話<br />
しが弾み注目を集めると思います。</p>

<p><br />
また、戦略研究学会（ <a href='http://www.j-sss.org/'>http://www.j-sss.org/</a> ）では、関西支部が発足して<br />
います。日欧比較軍事史を研究する際には良き方法論となる"戦略研究"の研<br />
修会、あるいは勉強会も開催される予定ですので、この場をお借りしてお知ら<br />
せさせていただきます。</p>

<p><br />
次回は、比べて見ると意外と面白い、このような日欧比較軍事史の続きを展開<br />
いたします。お楽しみに！</p>

<p></p>

<p>（つづく）<br />
</p>]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>【第１０講】　インテリジェンスから見た宣教師、そして日本の軍事的特殊性</title>
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    <published>2008-10-09T01:04:42Z</published>
    <updated>2008-10-17T11:10:07Z</updated>

    <summary>宣教師たちが特定地域への進出に際して、&quot;橋頭堡&quot;形成のために用いるアイテムには如何なるものがあって、どのように使っているのか...ということを見抜く必要があるのです</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://espania.okigunnji.com/">
        <![CDATA[<p>孫子塾副塾長・孫子塾関西支部長<br />
同志社大学／京都外国語大学・スペイン語非常勤講師<br />
米田 富彦<br />
<a href='http://espania.okigunnji.com/2008/06/post-1.html'>http://espania.okigunnji.com/2008/06/post-1.html</a></p>

<p><br />
今回は主に、"宣教師"なるものを戦略（ストラテジー）及び謀略（ストラタ<br />
ジェム）の相関性、そして、"直接侵略"と必ずシンクロナイズして考える必<br />
要のある"間接侵略"というキーワードを念頭に置きつつ、「当時の美しい話<br />
しの裏には...」という当時のいささか"汚い"（と思うのは世界でも日本人ぐ<br />
らい）話しを進めて行きたいと思います。</p>]]>
        <![CDATA[<p></p>

<p>理解を促すために、自分の所属している組織・団体が他の組織・団体との間で<br />
起こす競合、摩擦、対立という事象を解決するための方策や、日本においては、<br />
外見は同じアジア系でありながらも思考が全く日本人とは異なっている特定ア<br />
ジアとの接触から起こっている様々な事象を思い浮かべ、置き換えたり、ケー<br />
スをシュミレーションしたりしながら"自分で考えて"読み進めて行くと興味<br />
深いと思います。<br />
 <br />
 </p>

<p>９．インテリジェンスから見た宣教師、そして日本の軍事的特殊性<br />
 <br />
 <br />
■先ず、<br />
 <br />
宣教師にしても、何でもそうですが、所謂、"組織"でものを考える際に必要な<br />
ことは何か？と言うと...要は、それは構造と体系の基礎、根本、淵源となる<br />
ものになりましょう。<br />
 <br />
それは、即ち...「人」なのです！<br />
 <br />
即ち、時と所に応じた"人を得る"ということは、最も重要なことです。これが<br />
ないと戦略も空回りであり、単なる理屈や夢想で終わってしまうでしょう。</p>

<p>かの16世紀のスペイン全盛時代には、国王も傑物なら、臣下にも優れた人物が一<br />
時期に集中し、ヘゲモニー獲得の条件づくりを形成していたことは、以前言及し<br />
たことがあります。<br />
 <br />
優秀な人材が一つの明確な目的を達成するため、意志を同じくして参集し、共に<br />
"大義"という言葉に相当するところを心に念じて（共感・共鳴という上下心を<br />
一つにする状態）、自主・自律的に行動に移ると常識以上のことを成し遂げる<br />
（次元を超越する）ものであります。</p>

<p>このような「ある目的のために」条件を満たした人材であった当時の宣教師たち<br />
が来日し、宣教活動を展開して行きますが、実は、その裏には"宣撫工作"、<br />
"間接侵略"の含まれた活動があって、彼らなりの「組織を踏まえた行動」が存<br />
在していたと考えるのが普通なのです。ここでは、宣教師（宣教団体）と彼らの<br />
支援団体あるいは上部団体に位置していたスペイン、ポルトガル（国）とを切り<br />
離して見ないことがひとつのポイントでありましょう。<br />
 </p>

<p>■宣教師たち...<br />
 <br />
質的には、今の日本の官僚や政治家以上の人材が異国の地で死に方はどう<br />
あれ、多数亡くなっていますが、彼らは進んで名声を求めず、責任から回避せ<br />
ず、ましてや"閥"などを作っての世襲、即ち、生きている内に児孫のために美<br />
田を買うようなことは決してしなかった人々であったことを考えてみてください。<br />
 <br />
そのような優れた人材からなる組織構造や如何に？...これを推し量ってみましょう<br />
（宣教師とは、スペインにとっては...むしろ、捨て駒でなどであろうはずはないで<br />
しょう）。そして、その"組織的"活動が活動たるべく、順調な展開のためには、<br />
「条件づくり」を観察しなければならないのです。</p>

<p>即ち、宣教師たちが特定地域への進出に際して、"橋頭堡"形成のために用いる<br />
アイテムには如何なるものがあって、どのように使っているのか...ということを<br />
見抜く必要があるのです。</p>

<p>宣教師...それは、キリスト教という愛の教えを遠い日本にまで広めに来た偉い人<br />
たち、有り難たや、有り難たや...というところで思考が停止してしまうようなこ<br />
とになってはなりません。<br />
そもそも、「印象と事実は、異なるもの」です。本末転倒には、注意しなければ<br />
なりません。<br />
 <br />
情報（インテリジェンス）について慣れて来ているみなさんは、実は、"歴史の<br />
書籍"の注意点とは、"史学"なのか"歴史小説"なのか、どちらの類であるの<br />
か？を吟味することが分かって来ていると思います。<br />
 <br />
歴史研究書に見えながらも、俗に言う、著者の「筆が走っている」（自分の観念<br />
を盛り込んで歴史の空白を面白く一般に納得させるような表現で以って書きつな<br />
ぐ小説家個人の観念の混入したもの）...というような点に注意すること、要する<br />
に読者側には、常時、"アンチウイルス・ソフト的態度"と"リテラシー"が<br />
求められることは明らかなことであります。</p>

<p>では、話しに戻って、宣教師たちの円滑な活動のための「条件づくり」について、<br />
それが如何なるものなのか、ですが...それは、即ち、福祉、民生、教育、文化、<br />
芸術、科学などというものが考えられます。<br />
 <br />
これらは、決して皆にとっては邪魔になるものではなく、皆にとっては有り難い<br />
"便利"な「命の安定と人生の繁栄」に役立つもので、有って困るものでなし...<br />
むしろ有った方が良いものばかりです。<br />
（異質／同質、既知／無知、先進／後進などの二分法的思考や...比較、類推、<br />
また、適用、導入などというキーワードに基づいて、当時の日本人の気持ちも<br />
考えながら観察してみてください。）<br />
 <br />
そして、福祉、民生、教育、文化、芸術、科学などに付随して...それらを円滑に<br />
進展させるためのさらなる条件があります。その条件について考えてみると...、<br />
即ち、相互にとって、先ずは不利益にならず、お互いに利益になること...です。<br />
それは、即ち、"交易"というものです。<br />
 <br />
交易...これを通じて、所謂、金儲けからの経済的余裕と異文化の摂取から、他者<br />
との競合的な立場的において、自分が相手に対し、優勢な非対称性を創り出し易<br />
くなるものです（特に武器や軍事関連品目の輸入ですが、これは今後、回を重ね<br />
て解説する予定です）。<br />
 <br />
そして、戦争とは、「やむを得ず」ですが、交易とは、誰でも「進みて好む」も<br />
のであります。</p>

<p>このような言葉の出た後で、今一度、ここで確認しておきたいのですが、<br />
それは...一つの時間の流れの中で生起する様々な事象に潜んでいるかもしれない<br />
"謀略（ストラタジェム）"という事柄についての思考習慣です。<br />
 <br />
 <br />
■孫子・第三篇「謀攻」に、<br />
 <br />
「国を全うするを上となし、国を破るは之に次ぐ．．．百戦百勝は、善の善なる者<br />
に非るなり」とあります。<br />
 <br />
戦争は、人が人にするものですが、敵地の人間が反抗的で実力で以って衝突する<br />
より、すっかりこちら側の思考と信条に染まってしまって、今度は、こちらを尊<br />
敬し、崇め奉ってくれ、ホイホイと自主的に金も出すわ、危険なこともしてくれ<br />
るわ...といった、そのような人間（洗脳による奴隷化です）になってくれれば、<br />
わが国益は、労せずして倍増します。（このシステムとして、日本国憲法と戦後<br />
日本人を思考と行動から"洞察"すると興味深いと思います。）<br />
 <br />
そして、もし、敵対する組織のリーダーや管理職がこちら側に「染まってくれる」<br />
と、当該の組織では、"上意下達"、即ち、点ではなく、社会や組織という面から、<br />
立体で動くようにもなるのです。<br />
 <br />
あなたは、このようなことを、会社の上下関係、横の関係、部署と部署、役員<br />
と株主、企業と監督官庁などの様々な関係に当てはめて考えてみましょう。<br />
その決済、決定、許可など、規定や法規に従うように思えるものの、実際にサイン<br />
して印鑑を押すのは、"人"なのである点を踏まえて、シミュレーションする練習<br />
をすると訓練になりましょう。<br />
 </p>

<p>■洗脳...ということですが...<br />
 <br />
ケース・スタディなら、拉致問題で世間が沸騰し始めた際、日本のものと比べて、<br />
演出からストーリーから音楽から俳優から、何から何まで、日本の二番煎じ的で、<br />
今までの日本の複数作品を折衷したようなドラマを通じた"宣撫工作"がありまし<br />
た（このような番組を熱心に取り上げて"運動"していた会社や団体を業種別に<br />
観察してみると興味深いでしょう）。<br />
 <br />
これで、日本人の好印象と悪印象が混同させられ、所謂、"操作"を受けたことで、<br />
本格的な解決に向けての毅然たる一歩が歩めず、現在も盛り上がらないこと、そして、<br />
今もなお、日本海名称問題、竹島問題、対馬問題、強制連行－帰国事業問題、移民<br />
受け入れ問題、来るべき半島情勢の変化からの難民発生問題などに対し、日本人とし<br />
ての毅然とした態度を表したり、具体的行動に気が乗らないようになっている点には、<br />
いい加減に目覚めなければならないところです。</p>

<p>また、毎日のオリンピック報道で毒餃子事件（無法食品販売輸出）も、東シナ海の<br />
ガス田開発（ガス田窃掘）も、チベット人やウイグル人の国内暴動・テロ問題（自由<br />
と民主主義を求めての独立運動）も、どこかへ行ってしまったことは、身近な事例と<br />
して"洞察"を試みると興味深いと思われます。<br />
一連の事象に危機意識が働くことがストップしたり、条件反射的に決まり切った意見<br />
や行動しか取れなくなっていること...例えば、「憲法改正！」と聞けば、ほぼ、<br />
「第九条！」が思い浮かびますが、改憲問題は、何故、他の条文も議論しないのでし<br />
ょうか？</p>

<p>これは、インテリジェンスから観察すれば、心の動きがコントロールされていること<br />
で、即ち、自分で使うべき脳が他者によりコントロールされていることに他なりませ<br />
ん。自分の脳は、他人のものではありません。<br />
ここから...脳とは、別に移植までしなくても...やりようによっては、自分に取り込ん<br />
だり、他人のものを自分のものにすることが出来るという面白い性質を持っているこ<br />
とが分かります。<br />
 <br />
脳とは、自らの姿を見ることが難しいものです。<br />
自分が出来上がっていると思って安心して笑っていることは、裏を返せば危険な状態<br />
です。これについては、"孫子談義（ <a href='http://sonshi.jp/sonnsijyuku.html'>http://sonshi.jp/sonnsijyuku.html</a> ）"にある<br />
「桂小米朝改め五代目桂米團治襲名披露お練り　奉納落語の兵法的解釈」を読んで参<br />
考にしてください）。</p>

<p>大体、外国との接触というものは、宣教師にせよ何にせよ、"利／害"という興味<br />
深い点がシンクロナイズしているのです。<br />
 <br />
 <br />
■では、<br />
 <br />
インテリジェンス（深読み、見破り）という"問題解決"を前提とした実相把握とその<br />
戦いのシステムへの活用についての思考訓練を巡らしつつ、当時のスペインと<br />
日本との軍事的交流について観察を進めて行きたいと思います。<br />
 <br />
16世紀当時、日本の立場としては．．．戦国時代というのは、群雄割拠のサバイバル<br />
である故、様々な思考が自由でありました。海千山千の戦国大名は、NHK大河ドラマ<br />
とかその他の番組でやっているような"非戦主義者（戦いと聞いたら感情的になって、<br />
必ず逃げるヘタレ者のことです）"から判断したような「絵に描いたような戦争バカ」<br />
とか、「単なる好戦主義者」ではなかったのです。</p>

<p>彼らサムライとは、好むと好まざるとを問わず、進んで修羅となり、手を血で染める<br />
を甘んじて受け忍び、心を落ち着け冥府魔道を往き、地獄もまた極楽...という"厳し<br />
い納得"を実践する武闘派であると同時に、昨今の日本にあふれかえる似非大学教授<br />
あたりよりもかなりの知的存在であったのです。また、当時の一般人も時代劇や演劇<br />
に出てくるような「単細胞な人々」ではなく。時代を十分弁えていて、全くの無学無<br />
知の存在ではなかったのです。</p>

<p>（もし、本格的な武闘派とは？を学ぶには、『古伝空手・琉球古武術のすすめ』<br />
 <a href='http://kodenkarate.jp/kodenkarate.html'>http://kodenkarate.jp/kodenkarate.html</a> の「孫子兵法と古伝空手・琉球古武術との<br />
関係」のところをお読みになって比較考察してください。"似て非なるものの区別"<br />
がよく分かります。）</p>

<p>そのような条件の下で...宣教師とは...これら当時の日本人を本心からキリスト教に帰<br />
依させ、熱心な信者と成したことは、語学能力もさることながら、かなりの論理展開<br />
の能力を有し、哲学・思想面でも日本の知識層にも負けない所があり、個人的にも人<br />
間的な魅力に溢れ、大変優秀な人材がそろっていたことを証明するものである...とい<br />
う点は、素直に認めなければなりません。<br />
 <br />
 <br />
■宣教活動...それは、<br />
 <br />
軍隊を例に取れば、実行困難な特殊任務を専門とする特殊部隊員が、通常二つ以上<br />
の専門を有していて、不安定要素の多い作戦地域における軍事的任務をこなすと同時<br />
に、その軍事的知識を転用して、積極的に当該地域の医療を始め、様々な民生活動を<br />
実施し、地域生活の振興に協力しつつ、当該地域の支配者や民衆をコンサルティング、<br />
ケア、キュアなどを通じて、味方につけて行くようなところと同じ性質が見られるのです。<br />
（戦後のGHQも敗戦後で"朦朧"としていた一般民衆に対し、宣教師と同じようなこと<br />
をしていたのかどうかも、チェックすると面白いと思います。）<br />
 <br />
宣教師とは、機能の面では、表立った武力を表さない分、「静かなる戦士たち」で<br />
あり、むしろ、「冷たい戦争」よりは、「暖かい戦争」と言った方がよいのかもしれません。<br />
宣教師とは、現代でいうところの特殊部隊や特務機関の要員と、さほど差がない<br />
存在であったと考えられます。</p>

<p>このような機能を有していた宣教師...即ち、織田信長と親密な関係を結んだことで<br />
知られているイエズス会の宣教師ルイス・フロイス（1532-1597）は、彼の報告書"<br />
Historia de Iapan(「日本史」)"の中で、日本の合戦について軍事的観点から比<br />
較観察をしているような記述を多数行っています。<br />
 <br />
このイエズス会の報告書、即ち、大きくジャンル分けすると「日欧交渉史」になり<br />
ますが、かの雄松堂出版（ <a href='http://yushodo.co.jp/press/koushou.shtml'>http://yushodo.co.jp/press/koushou.shtml</a> ）から興味深い翻訳<br />
が多く出ています。また、雄松堂出版のHPにあるリンク（雄松堂オンライン資料）は、<br />
歴史に興味のある方には必見でありましょう。</p>

<p>もし、フロイスが軍事に無関心であり、軍事的知識も皆無であったならば、合戦<br />
や兵器については、報告記述の対象とはなり得なかったことでありましょうし、<br />
特に言及することもなかったことでありましょう。<br />
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■元々、宣教師たちが軍事について明るかったところは、<br />
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隣の支那（明）では、彼らを通じて大砲の鋳造が行われたり、有名な兵書「孫子」が<br />
フランス語に訳されたりしているところからも指摘できましょう。<br />
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フロイスは、来日したのが1563年で、3年後（1569）には織田信長との知遇を得て<br />
います。織田信長の方は、戦国大名の常識として、兵法・軍事にかかわる情報収集<br />
の一環としての外国人との"会話"がなされていたものと考えられます。<br />
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キリスト教を布教するには、相手が全くの未開民族ならば、一方的に教義も押し通す<br />
ことが可能でありましょう。が、日本人は、かなりの文化的な基礎を有し、政治、<br />
軍事、経済の面でも欧州とは遜色が無かったのですから、そのような布教相手を克服<br />
するためには、かなり、教義自体の解説を行い、相手を納得させることのできる論理<br />
的な展開と状況説明が必要となるものです。<br />
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それは、人々からのキリスト教自体についての宗教的な質疑は当然として、宣教師<br />
自身の自己紹介からスペイン、ポルトガルをはじめとする欧州情勢、政治体制、<br />
歴史についての問答は当然あったもの...と捉えねばなりません。<br />
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そして、その国の歴史を語ることは、同時に当該国及び周辺諸国の地理、軍事史、<br />
武器について語ることと同じであり、また、軍事史や武器を語ることは、自ずと<br />
戦いの理由・原因や武器使用法（要するに戦略と戦術）に言及することであり、<br />
即ち、「軍事用語」を使わないで兵法、戦略・戦術等の「軍事事象」を語ることを<br />
意味するものです。<br />
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このようなところから、宣教師とは、別の意味から言えば、当時の日本人の地政学<br />
的観点を国内スケール（大陸国家ならぬ列島国家）から国際スケール（海洋国家）<br />
へと広げる役割を担ったのかもしれません。<br />
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■そのことに気がついた日本人は、<br />
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少ないながらも実在していた（織田信長とか、あるいは海外交易に関わっていた<br />
無名の商人たちなど）と思われます。<br />
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また、日本という"国のレベル"で外国勢による侵略という国難を真剣に考えた<br />
日本史上の日本人は、神功皇后、天智天皇、北条時宗、そして戦国大名の幾人か...<br />
それから幕末維新期と続くものでありましょう。（現代日本の政治家や官僚は...<br />
残念ながら、一体何人の"国士"がいることか...国難の前に蓄財した金で日本を<br />
見捨てて海外へ避難したりするかも？...時代の流れと共に組織を構成する人と<br />
なりが矮小化しています。）</p>

<p>織田信長とフロイスら宣教師たちとの会話、即ち、立場を有する者同士のお互い<br />
の会話とは、計り知れない諜報活動に相当するものです。<br />
かつての"桶狭間の合戦"の電撃的勝利は、諜報活動によりもたらされましたが、<br />
織田信長は、彼自身の諜報に対するセンスから察するに、宣教師たちに対しても<br />
然るべき諜報的態度は常識としていたものと考えなければなりません（これは宣<br />
教師側としても同じような諜報的観点から織田信長を観察していたことであった<br />
と思われます）。</p>

<p>では..."長篠の合戦"が"チェリニョーラの戦い"からその着想を得ていると<br />
思われるところを推察し、日欧の軍事交流を観察することといたしましょう。<br />
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<p>■その前に...<br />
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長篠の合戦が出て来たところで...少し、気分転換に戦略や組織を考える上での<br />
面白いお話しをしておきたいと思います。これは、日本におけるスペイン研究、<br />
ラテンアメリカ研究の一面を物語る興味深いお話しです。<br />
また、現代日本の人文科学系学術界の実態や昨今の大学教員の質を知るには<br />
大変興味深い実例にもなっています。</p>

<p>みなさんは、戦略、組織管理・運営、危機管理などのキーワードを基礎として<br />
観察すると良い訓練になりましょう。</p>

<p>「日本イスパニヤ学会」（<a href='http://wwwsoc.nii.ac.jp/ajh/'>http://wwwsoc.nii.ac.jp/ajh/</a>）という大学での<br />
スペイン語教育で主なる生計を立てている方々が参集している学会（会員は、<br />
約300名ぐらいでネイティヴ語学講師が多数。一応は日本学術会議に加入）<br />
があります。<br />
ここで、平成15年秋に開催された第49回年次大会の際、この「スペイン・ラ<br />
テンアメリカ講座」で現在取り扱っている日欧交渉史に関する内容を口頭発表<br />
したことがありました。<br />
すると、ある首都圏の某有名大学の権威と自認している某教授から、本当に<br />
しつこく力説されたことに：</p>

<p>「長篠の合戦のすごさってえのは、みんな全く分かっていないんだよー。<br />
あのねえー、長篠の合戦ってえのはさあ、鉄砲を使ってあまりにも効果が<br />
あったもんで、それからの合戦にはみんな甲冑を着るの止めちゃったんだよ！<br />
甲冑を着けるのやめちゃってさあー、もう、着物なんか脱いで裸で合戦が<br />
行われるようになったんだよ！君はそんなことも知らなかったの？<br />
鉄砲のお陰でさー、長篠の合戦のあとってえーのは、甲冑なんか日本じゃ<br />
廃れてしまったんだよ！もう、甲冑なんて使わなくなったって言ってんだよ。<br />
他の学者ったって、みんなそんなことも知らないんだから！ほんとだよ！」</p>

<p>というのがありました。立食形式の懇親会の席上とは言え